9月の敬老の日は、入居者と家族が集まって簡単なパーティを開く。この日も母は機嫌が悪かった。「私を家に帰せ」「誰か家に勝手に住んでいる。お前だろ」とスタッフに突っかかり、せっかくのパーティの雰囲気を壊し続ける。矢面に立つ私は文字通りの針のむしろだ。否、スタッフの方々は毎日がこの針のむしろなのだろうと想像する。
そこに、ホーム入居以来の母の必殺技が炸裂する。「このご飯まずい」。いや、せっかくのパーティメニューにそれはないだろお母さん。
入居者が妄想にかられてスタッフに暴力を振るうということは、グループホームにとって大きな問題であるようだ。「もしも母のような力の弱い高齢者でなかったら」「例えば大柄で力の強いおじいさんが認知症による妄想を起こしたら」と考えれば、それが施設介護における大問題であることはすぐに想像できる。
実際ネットを渉猟すると「入居者の暴力でかなりのけがをした」というような介護職の書き込みが見つかったりするのだ。入居者の振るう暴力は、介護スタッフの離職の原因となることもしばしばらしい。
一体どうすればいいのか……。
そんな日々の中、突如家の電話が鳴った。出ると、「お母さんだけどね……」と、母ではないか。「私帰るからね。早く迎えに来て」という。びっくりして「ちゃんと準備してからね」と返事すると、「早く来て、もうここやだ」という。すぐに電話はスタッフに代わり、「すみません。次に来られる時に説明しますから」と言われて電話は終わった。
管理室に入り込むようになった母
次の訪問は気が重かった。が、行かないわけにはいかない。なんと母は、「帰る」と、電話のあるホームの管理室に入り込もうとするようになったのだという。スタッフは母が部屋に入ると電話線を抜いて対抗し、「今ちょっと電話が通じませんから後にしましょうね」と母の興奮を静めて部屋から連れ出していたのだが、ついに突破されてしまって、我が家に母から電話が入るという事態になったのだった。暴力性と共に母の行動力もスケールアップしていたのである。
と、同時に私は、母がまだ自宅の電話番号と電話のかけ方を覚えていて、しかも「家に帰りたい」という欲求に対して「電話をかける」という解を見つけたことに驚いていた。明らかに妄想から始まった母の異常行動は、残っている認知能力をも駆動しているではないか。
母の暴力のエスカレートを受けて、ホームかかりつけ医のK医師は、母に精神科の薬を処方すると決定した。処方されたのはリスペリドン。商品名は「リスパダール」だ。基本的には統合失調症に処方する薬で、ドーパミンとセロトニンという2種類の神経伝達物質の働きを緩和する。神経細胞にはこの2つの神経伝達物質を受け止める受容体という仕組みがある。リスペドリンは、受容体に働きかけてドーパミンとセロトニンの作用を抑える機能を持つ。ごく簡単に要約するなら神経の伝達が良すぎて興奮しっぱなしになるのを鎮静させる薬理作用を持つ。
ここで気になるのがすでに母が服用し続けている商品名「アリセプト」「メマリー」という認知症の対症療法薬との飲み合わせだ。アリセプトの有効成分ドネペジルは、神経伝達物質のアセチルコリンの分解を遅らせて一定濃度を維持する機能を持ち、メマリーの薬効成分メマンチン塩酸塩は、同じく神経伝達物質のグルタミン酸の過剰放出を抑制することで神経の正常な機能を維持する。リスパダールとアリセプト・メマリーとの同時服用は禁忌にはなっていない。が、一方でリスパダールの高齢者への投与は慎重に行うようにという指定も出ている。リスパダールの投与は通常1日2回、1mgずつだが、母の場合は1日1回、就寝前に1mgから始め、様子を見て増量するということになった。
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