「失われつつある能力を使って必死に考えているからなんですよ」とKホーム長は説明する。「認知症の方の主観では、自分の身の上に、納得できないおかしなことが次々に起きているんです。なぜか自分は自分の家じゃないどこか違う馴染みのない場所で、家族じゃない知らない人に囲まれて暮らしている。なんでこんなことが起きているのか、みんな必死に考えて合理的な理由を探すんです。その結果がお母さまの場合、『誰かが自分の家に住み着いている』なんですよ」。
いまひとつ納得できない私に、Kホーム長は続ける。
「お母さまは、今のグループホームにいる自分に納得していないのでしょう。なんでこんなところにいなくちゃいけないのか、それは誰か自分じゃない誰かが自分を追い出して家に住んでいるからに違いない、と考えるわけです。そう考えて原因が分かった気分になれば、自分の精神も安定しますしね。じゃあ、誰が自分の押しのけて自分の家に住んでいるのか。こんなところで自分を世話している人が怪しい、とね。認知症の方の考えは、たどっていくとちゃんと筋は通っているんです」
なるほど。衰えた記憶と知覚と思考力で考えているから、妄想になってしまうということか。
「そうですね。でも真面目に必死に考えた結果ですから、周囲で我々が受け入れてあげると安心して、本人の心も安定するわけです」
一気に暴力的になってしまった
とにもかくにも母の妄想をスタッフが受け止め続けて半年たった9月のことだった。グループホームを訪問すると、スタッフのOさんの二の腕に長く痛々しいひっかき傷ができていた。驚く私にOさんは口ごもりつつも「いや、ちょっとお母さまにひっかかれてしまいまして。なんでこんなところに私を閉じ込めておくんだ、と」と説明する。
ぽかぽか殴られるだけなら痛くないが、同じ力でも引っかかれるとなるとこれだけの傷になるのか。Oさんに申し訳なくて、私はひたすら頭を下げるしかない。
「いや、いいんです。これが僕らの仕事なんですから。これで給料貰っているんですから」とOさんは言う。が、ひっかき傷に傷病手当なんてないのだろう。まるでひっかかれ損ではないか。
実はそれだけではなかった。その後、Kホーム長から説明を受けたのだが、母が一気に暴力的になっていたのである。9月2日に突如として暴力がエスカレートして、「私をなぜこんなところに閉じ込める」「お前が私の家に勝手に住んでいるんだろ」と入居者、スタッフを問わず突っかかるようになったのだ。当然スタッフが止めに入るが、母は抵抗する。Oさんの腕にできたひっかき傷はその時のものだったらしい。
「なぜ一気にエスカレートしたのか分かりません。一度脳梗塞をやってますから、なにか脳に微細な損傷が発生して攻撃的になったという可能性もあります。が、本当のところは分かりません」とKホーム長に言われ、もう私はすいませんすいません、と頭を下げるばかりである。
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