正直自分のうかつさに愕然とした。と同時に、困惑した。ここまで「Sさんが結婚しようと言ってくれた」という母に「そう、よかったね」と受け入れる形で対応してきた。とすると、妄想もまたそれを受け入れる形で対応しなくてはならないのか。「お前はひどい息子だ」と、ぽかぽか殴りかかってくる母に、「そうだねえ」とにこやかに対応しなくてはならないのだろうか。
その通りだった。グループホーム側は、妄想が出始めた母に対して、どのような対応をした介護を行うか、ミーティングを持ってくれた。その結果「松浦さんの場合、大切なのは本人の心の平安なので、受け入れて応対する」ということになったのだ。
これがもう、見ているだけで胃が痛くなるようなことだった。妄想の発現以来、母の症状は徐々に進行し、程なく「誰かが自分のいない間に、自分の家に勝手に入り込んで住み着いている」というものに変化した。そしてその誰かが、その都度周囲にいるスタッフだと思い込むようになってしまったのである。
何かの拍子に母は怒り出す。「なんでお前、私の家に上がり込んで勝手に住んでいるんだ。誰の許しを得てそんなことしているんだ」。すると介護をするスタッフは「はい、すみません」とまず謝る。そして「あんまりきれいなお家だったんで、つい住んでみたくなってしまったんです。ごめんなさい」と続ける。つまりは母の自尊心をくすぐるわけだ。すると勝ち誇った母は「もうしないか?」と問いかける。「はい、もうしません。ごめんなさい」……で、母は納得しておとなしくなる。
自分の身の上を必死に考えるから
ところが母は記憶が続かない。すぐにまた「なんでお前、私の家に上がり込んで勝手に住んでいるんだ。誰の許しを得てそんなことしているんだ」「はい、住んでました。ごめんなさい」……これを何度も何度も繰り返す。
ケアマネYさんをはじめとして、スタッフの方たちはみな「私らはこれで給料貰ってますからね」と言ってくれたのだが、いくら給料を貰っていたって、これはきつい。精神的にものすごくきつい。
一方で母は私には「家にいる変な人追い出して」という。その都度「うん、やっておくよ」と答える。それはさほどつらいわけではない。むしろつらいのは「私を家に帰せ、戻せ」という要求が強くなったことだ。「準備をきちんとしてからね」と答えると、「お前はひどい息子だ。私をこんなところに閉じ込めて」と非難されるのだ。
「仕事ですから」というのはKホーム長以下、スタッフの口から何度も出た言葉だった。仕事だから、家族にはできないことができる。仕事としてやるから耐えられる。むしろ仕事でなければ、こんなことはできない、と。
しかし「なんで勝手に私の家に住んでいる!」と理不尽に怒る母をなだめてその精神を安定させる仕事というのは、なんと大変なことだろうか。
ロックバンドBUMP OF CHICKENに「ギルド」という曲がある(2004年発売のアルバム「ユグドラシル」に収録※)。「人間という仕事をしてきたが、ふさわしい給料を貰ったという実感はない」といった気持ちを歌い、「休みをください」と哀願する、そんな曲だ――。怒り、勝ち誇る母を支えるスタッフの姿になぜか重なるように思えた。歌のほうは「生きていくことは仕事ではないよ、素晴らしいことがいっぱいあるよ」という内容へと続いていくのだけれど。
なぜ母は「自分の家に誰か住み着いている」というような妄想にとらわれるようになったのか。
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