親を「グループホーム」に入れたらどんな介護生活になるのか。

 そもそも「グループホーム」とは、どこにある、どんなところなのか?

 親が高齢になれば、いずれ否応なく知らねばならない介護施設、その代表的なものの一つである「グループホーム」。『母さん、ごめん2 50代独身男の介護奮闘記 グループホーム編』で、科学ジャーナリスト、松浦晋也さんが母親をグループホームに入れた実体験を、冷静かつ暖かい筆致で描き出します。

 介護は、事前の「マインドセット」があるとないとではいざ始まったときの対応の巧拙、心理的な負担が大きく変わってきます。本連載をまとめた書籍で、シミュレーションしておくことで、あなたの介護生活が「ええっ、どういうこと?」の連続から「ああ、これか、来たか」になります。

 書籍・電子版で6月23日発売予定です。

 本書の前段に当たる、自宅介護の2年半を描いた『母さん、ごめん。 50代独身男の介護奮闘記』は、電子版集英社文庫が発売中です。

 2017年の年末から2018年の年頭にかけては、“ハンサムなおじいさん”だったSさんが母の内面に残した余波に、私も揺さぶられっぱなしだった。母は「Sさんが結婚しようと言ってくれた」と繰り返す。私は複雑な気分を飲み込みつつ「そう、良かったね」と返事する。

 もちろんSさんはもういない。グループホームを退居したからだ。それだけではなく、病気を患っていたSさんは、ほどなくこの世を去ったと、私はKホーム長から聞かされた。

 Sさんはもういない。どこにもいない。が、母は「結婚しようと言ってくれた」と繰り返し、私はそれに「良かったね」と繰り返し答える以外の手を持たない。

 が、「結婚しようと言ってくれた」は、事の始まりだったのである。

 記録を見返すと、自分がこれに気が付いたのは2018年3月14日のホーム訪問の時だった。この日、お菓子を持って母とお茶にしようと訪問すると、いきなり母から「あの子が帰ってくるって電話してきたから、私一緒に住む。だからもう家に帰る」と言われた。あの子とは在ドイツの妹のこと。もちろん妹は母に電話していない。妹がドイツから帰国するという事実もない。が、母は「あの子が帰ってくるから一緒に住む。だから帰る。ここから出して」と言い募る。

 そのうちに「私をこんなところに閉じ込めて、お前はひどい。むごい息子だ」と怒りだし、ぽかぽかと私を叩きはじめた。力が落ちているので痛くはない。が、身に覚えのないことで責められ、叩かれるのは精神を消耗する。

ついに始まったか

 こうなると母と会話するどころではないので、早々に退散してスタッフの方と相談する。この症状は数日前から急に出るようになったのだという。

 「『ほら、そこにSさんがさっきまで座っていた』とか言い出しまして……」とケアマネジャーのYさん。「他にも『私、Sさんに結婚を申し込まれちゃったけど言いふらさないで』とか……」。

 妹が帰ってくると言っていたんですが、とYさんに問うと「『さっき妹さんが電話をかけてきた』というのもよく言っています。『日本に帰ってくるって。帰ったらお母さん一緒に住もうと言ってくれた』とかですね」。

 ついに始まったか――幻覚か妄想だ。

 母のグループホーム入居により、私はホームの他の入居者の方の行動も見ることになった。中には明らかに妄想を発現している方もいて、私は脳の萎縮が進めば母もいずれ妄想が出るであろうと覚悟するようになった。認知症の症状は人によって様々だが、それでも一つの傾向がある。症状が進むと妄想が発現するのは、決して珍しいことではない。

 母の記憶障害に気が付いたのが2014年7月だから、そこから3年9カ月で、妄想が出るまで症状が進行したわけである。

 しかし、こんなに唐突に症状が出るとは思ってもいなかった。もっと緩やかに進行すると思っていたが……と考えていてはっと気が付いた。「Sさんが結婚しようと言ってくれた」――これこそは、妄想の前駆症状ではなかったか。

 前兆はあったのだ。しかし気が付いていなかった。認知症を発症した時と同じ過ちを犯してしまったのだ。

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