この妹の積極性と思い切りの良さは一体誰の遺伝かと、ずっと疑問だったのである。上2人のもたもたのルーツは割とはっきりしていて、中国史の学者であった我々の父方の祖父である。戦争のせいで49歳で死んだ祖父に、我々は会ったことがない。が、父はよく祖父のことを「学者気質でほんとうに気の回らない人だった。おかげでおふくろ(というのは我々の祖母のこと。父の母である)みたいなちんちくりんと押しつけられて、それでもニコニコしておってなあ」などと悪口めいたことを言っていた。

 祖母がほんとうに「ちんちくりん」だったかどうかは、別途議論が必要だが、祖父が気働きのできない人だったのは間違いないようだ。我が家にはいくつか祖父の逸話が残っていて、その中には「京都の家で“まあぶぶ漬けでも食べていきはったら”と言われて、いつまでもおとなしく玄関で待っていた」なんてのもあるのだ。この話、あまりにベタ、かつ出来すぎているので私は作り話ではないかと疑っている。が、周囲がこういうことを言うぐらいに気の利かない人だったのは間違いないだろう。

「手をつないでおでかけされましたよ」

 で、妹である。彼女は早く結婚したことについて「自分は末っ子だから、早く自立しなきゃいけないとずっと思っていた」と言っていた。が、それならば、彼女が結婚で見せた行動力は誰から受け継いだのか。

 思わぬグループホームの恋ではっきりした。母だ。
 一人の女性としての母は、かなり積極的で思い切りがよく、度胸と行動力を持ち合わせた人だったのである。ひょっとしたら若い頃、三菱電機に勤務していた時代に、我々も亡父も知らないロマンスぐらいはあったのかもしれない。もう、母の記憶からも引き出すことはできないロマンスが。

 9月に入った頃、ホームを訪れたら、入居者全員がちょうど散歩に出たところだった。Cさんという最年長の女性スタッフが「もうすぐ戻って来ますからね」という。Cさんは「ほんとは私、入居するかもしれない年齢なんですけど、おばあちゃんパワーで働いているんですよ」という陽気な方だ。そのCさんが、ニコニコしながら教えてくれた。

「松浦さん、Sさんと手をつないで出かけていきましたよー」

 Sさんと母のことは、「そんなものか」と受け入れてはいた。が、それでもその時の私の気持ちを想像してほしい。顎が落ちるとはこのことか、だ。「手をつないで出かけていきましたよー」というフレーズが、くわんくわんと脳内でこだまする。

 「高校生カップルかよ!」と、私は内心でツッコミを入れていた。

この記事はシリーズ「母さん、ごめん 2」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。