それが母に良い影響を与えていることは一目瞭然だった。なにしろ、さっきのことも覚えていられなくなりつつある母が、Sさんのことは覚えていることができる。しかも、私は「帰りたい」と責められることもなくなり、楽になったのである。

 ともあれ、家族としては状況を客観的に把握しなければならない。前回書いた通り、グループホームは入居者にとって“最後の家”だ。そこで恋の花が咲いたとしても、最後に来るのは別れだ。それがどちらかの死か、それとも入院などによる退居かは分からないが、かならず終わりは来る。それはどのようなもので、どう対処したらいいのか。

 「ええ、こういうことはままありますね。お年は召されていても認知症でも、男と女が同じ屋根の下で暮らす場所ですから」と、あっさりKホーム長は言い切った。「私も、これまでのキャリアで、ホームに入居するおじいさんとおばあさんが親密になるということを何度か体験したことがあります」。で、その時はどのように対応するのだろうか。

 「基本は“見守っていく”です。認知症の方の生活に、人間関係の刺激が加わるというのは決して悪いことではないですから。それぞれにお年を召されていますから、性的関係ということにもなりませんからね。むしろ“ぬくもりが欲しい”という感じでしょうか」。どうやら、小学校の学級における“公認カップル”ぐらいに思っておけばいいらしい。

父よ、許してやってくれ

 「片方が亡くなられた場合もケース・バイ・ケースです。どちらかが退所することになれば、そこで関係は終わりますね。私の体験した例では、おじいさんが亡くなられて、おじいさんの側のご遺族の配慮で、おばあさんがきちんと葬儀に参加したということがありました」

 何か積極的に働きかけるというのではなく、見守るということか――と私は事態を四捨五入して飲み込んだ。グループホームで起きていることに、家族ができることは限られる。そうだ、もう母を介護のプロの手に委ねたのだ。だからプロを信用するしかない。

 亡父が知ったらどう思うかとも考えた。が、考えてもしかたない。なにしろ、結婚の誓いは「死が二人を分かつまで」ではないか。

 すまぬ。が、先に死んでしまったのが悪いのだよ――私は、浮き立つ母を横目に脳裏で父に手を合わせた。

 弟と妹は、冷静にこの事態を受け入れた。弟は、「母の脳に刺激が与えられるなら、それはいいことだ」と言った。妹はもっとシビアで、「いいんじゃないの」の一言だった。それは確かにそうだと、私も考えた。これは運命が母に用意した、人生最後のボーナスステージというものかもしれない。ならば精いっぱい楽しみ、謳歌すればいい。

 また、こういう事態になったことで、見えてきたこともあった。我々きょうだいは上の2人が独身のまま歳を取り、末っ子の妹はさっさと結婚して家庭を持った。上2人のもたつきっぷりに比べて、妹は大学ですぱっと相手を見つけ、順調に交際を続けてあっさりと結婚した。

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