盛夏になる頃、この「帰りたい」問題が一気に解決することになるとは、まったくもって思ってもいなかった。

 母のいるグループホームは入居者9人のユニットが東西2つの、18人が入居する仕組みだ。母と同じ西ユニットには、Sさんというおじいさんが入居していた。Sさんは母と同年配で、すらりと背が高く背筋もさほど曲がっていない、一言で要約するなら自分も老いたらかくありたいと思わせる、格好良いおじいさんだった。多分若い時はかなりのハンサムだったのだろう。

 夏になる頃から、グループホームを訪れると、母とSさんがリビングでなにかしらを話しているところ、ということが増えた。

 「Sさんはね、お母様と同じ頃に東京の丸の内で働いていたんですよ」と、スタッフの方が教えてくれた。「だから共通の話題があるみたいですね。どこそこのお店がおいしかったとか、会社の昼休みはこんなことして遊んだとか、お二人で若い頃の話をしていますよ」という。

 母は女子大英文科を出た後、丸の内の三菱電機本社で働いていたことがある(前著で書いた通りだ)。まさか60年もたってから入居したグループホームに、同じ頃に同じ街でサラリーマン生活の第一歩を踏み出したおじいさんがいるなどいう偶然が起きるとは。

母から「帰りたい」が消えた

 Sさんは、認知症の程度も、母ほどではなかったようで、日常会話を交わすぐらいなら、まったく普通の人と変わりなかった。話しかけると、「あー、松浦さんの息子さんですか」と、きちんと会話が成立する。つまり、母が松浦という名前であることが記憶できているのだ。

 ちょうど私が、種子島のロケット取材から戻って来たタイミングだったので、その話をすると「ボクも、若い頃は営業でずいぶん九州を走り回りました。あそこの温泉、行きました? あそこの湯はいいですよ」と九州各地の温泉の話を始める。「名前が思い出せないや」と自室から日本地図を持ち出し、「ああ、霧島、霧島温泉ね」などという。言葉や態度に湿ったところがない、良い人だな、という印象だ。

 会話が増えることは脳への刺激にもなるし、母にとって良いことだと思っていたら、その親密さはどんどん増していった。

 母との会話の中から、「帰りたい」という言葉が消えた。会うとすぐに「Sさんがね……」とSさんがあれをした、これをしたと話し出す。おかげで会いに行くのがおっくうでなくなった。

 予想すらしていなかった事態であることに気が付くまで、しばしの時間がかかった。やはり認めたくない心理が働いたのだろう。しかし、「女性が延々と特定の男性の話をし続ける」というのがどういう状態かといえば、決まっている。必要なのは、83歳という年齢から来る既成概念を外すことであって、それは突如として訪れた。

 これは恋じゃないか!
 母は、認知症を発症し、グループホームに入居し、人生最後の段階に至ったタイミングで、なんと恋をしたのだ。

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