2017年3月、「『事実を認めない』から始まった私の介護敗戦」から連載を開始した、松浦晋也さんの「介護生活敗戦記」は、科学ジャーナリストとして自らを見る冷徹な視点から、介護を通した母親との壮絶な体験を、ペーソスあふれる文章で描き、絶大な支持をいただきました。コメント欄に胸を打つ投稿が相次いだのも記憶に残るところです。

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 この連載は『母さん、ごめん。 50代独身男の介護奮闘記』として単行本・電子書籍となり、介護関連の本としては異例の支持を集めました。22年1月には集英社文庫に収録されております(こちら。文庫版にはジェーン・スーさんとの対談が追加されています)。

 そして5年後。前回の最後は、松浦さんのお母様がグループホームに入ったところでしたが、今回はそこから今日まで起こったさまざまな出来事が語られます。

 介護施設に入居したことで、母親の介護は終わったのでしょうか。
 入居後にお母様、そして松浦さんを待っていたのはどんなことなのか。
 ぜひじっくりとお読みください。

(担当編集・Y)

 母がグループホームに入居し、最初の夏が来た。その、2017年の初夏、私は母の「家に帰せ」攻勢に手を焼いていた。

 1週間に1度、グループホームを訪問し、母と話をする。母は起きていることもあるし、昼寝していることもある。お菓子を持って行ったときは、お茶を出して貰って一緒に食べる。そして話をする。

 話をすれば、いつも「帰りたい」という訴えに収束していく。

 「いつまで私をここに置いておくつもり」、と母は言う。私には「いついつまでだよ」と真っすぐに返事ができない。「まあ、いずれはね」というような曖昧な言葉を戻すしかない。

 もう母の生活基盤は、完全にグループホームに移している。公的支援はすべてホームへの入居を前提とした体制に組み替えてあるので、そう簡単に戻すことはできない。

 認知症であっても、こちらの逡巡は敏感に母に伝わるようだった。

 「家に帰してよ。戻りたいよ」と、畳みかけてくる。さらには「いつまでもこんなところにいたら、死んじゃうよ」とも。私は「ヒトはそんなに簡単に死なないし、死ねるものでもないよ」とごまかすしかない。

一時帰宅では解決しない

 一時帰宅させるか、とも考えた。昼間の数時間、家に帰って庭でも眺めれば、いくらかでも母の気が済むか、と思ったのだ。だが、Kグループホーム長に相談すると、「うーん、あまりおすすめしませんねえ」と言われた。

 「どなたも入居からしばらくは、帰りたい帰りたい、と言うんですよ。それでご家族によっては、一時帰宅させることもあるんですけれどね。でも、大抵の場合、戻ってもご本人は喜ばないんですよ。しばらくすると居心地悪そうに、“やっぱり戻る”と言ったりするんですね。一時帰宅では問題は解決しないということです」

 さらにKさんは続ける。「帰りたいといっても、どこに帰りたいのかという問題もありますしね。実は、自分が子どもの頃の故郷に帰りたいのだとしても、もう故郷はないということもありますし」。

 その時は、「そういうものなのか」という感想だったのだが、今、この原稿を書いている自分には、Kさんが話していたことがはっきりと理解できる。

 認知症の人の内面には、不安が渦巻いている。記憶が続かなくなり、性格が変化していくことが主観的には「自分が変化している」ではなく、「周囲がおかしくなっている」と感じられるのだろう。だから、自分が元いた安心できる場所に帰りたいと主張する。

 しかし、不安は認知症に起因するものなので、帰ったところで不安は解消しない。不安が消えないから、こんどは別のところに帰ろうとする。「やっぱり戻る」というのは、消えない不安に対する反応なのだろう。認知症の人の「帰りたい」に振りまわされると、家族は疲弊するだけなのである。

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