「帰りたい」のは「不安」だから

 が、それで終わりではなかった。少しするとまたひょこひょことリビングに出てきて「なぜ私ここにいるのかしら」と同じことを言う。Oさんも同じ話を繰り返し、おばあさんは納得して部屋に戻り、そしてまた出てきて「ねえ、なぜここにいるのかしら」……。

 これを何回繰り返したか。おばあさんが出てこなくなると、Oさんは少しほっとした表情を見せた。「あの方は、夜になると不安になるんですよ。それで毎晩就寝前になると、なぜここにいるんだろう、と起きてくるんです」

 このとき、私は理解した。「帰る」のは「不安」だからだ。「不安だから自分のよく知っている、安心できるところに帰りたい」のだ、と。2年半、母を介護していて気が付かなかったのか、と言われれば、「すいません、気が付きませんでした」と言うしかない。

 ともかく私は、グループホームで母以外の認知症の方と接することで、やっとこさ認知症の根底に「不安」があることに気が付いた。

 不安の根源には、認知機能の劣化がある。本人の主観からは「周りの世界が自分の知らない形に変化してしまう」と見えるのだろう。だから怖いし不安になる。だから安心できる場所に帰りたくなる。

 認知症の方の症状は多様だ。それぞれ固有の認知症の現れ方を抱えている。と、同時にその奥底には共通して、「不安」と、不安からの脱出手段としての「帰る」が渦巻いているのである。

 もう少し認知症が進行したか、と思える人になると、異常行動が現れるようになる。それは以前も書いた徘徊だったり、靴を自室に持っていったりしてしまうといったものだ。

 が、徘徊ひとつとっても、「入居前に住んでいた家に帰ろうとしての徘徊」「もうなくなってしまっている故郷に帰ろうとしての徘徊」「若い頃からの生活習慣として身に付いた散歩の表れとしての徘徊」と、本人の内面における位置付けは様々だ。しかもどこかに帰ろうとしての徘徊には、一緒に住んでいた今は亡き配偶者とか両親や兄弟に会いたいという、切ない心の動きがあったりする。

他人の部屋のものをすっと持っていく人

 グループホームのスタッフは、そういうひとつひとつの事情に対応して、接し方を工夫し、異常行動が出ないようにもっていこうとする。それは、「入居者が安心して過ごせるようにする」ということでもある。Kホーム長は、私との会話の中で「僕らからどんなに変に思える行動にも、本人の内面ではきちんと筋の通った理由があるんです」とよく言っていた。どんなに不可解な行動でも、理由を理解した上で不安を無くす方向で接していけば、徐々にでも収まっていくというわけだ。

 それは本当にプロの対人技術を必要とする、大変な仕事だと思う。いちど、母の居室で母と話をしていると、突然知らないおばあさんが部屋に入ってきたことがあった。何も言わずにそのまま母の化粧品のひとつをすっと手に取って出ていってしまった。こっちはびっくりして、何もすることはできなかった。

 すぐにケアマネのYさんが来て、「ごめんなさい!」と言う。「入居したばかりの方なんですが、他の人の部屋に入ってものを持ってっちゃうんです。多分しばらく続くと思いますけれど、持っていったものは私たちが責任を持って戻しておきますから、許してください」

 ホームの介護を受けているこちらとしては、許すも許さないもなく、とにかくこの状況を受け止めるしかない。

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