2017年3月、「『事実を認めない』から始まった私の介護敗戦」から連載を開始した、松浦晋也さんの「介護生活敗戦記」は、科学ジャーナリストとして自らを見る冷徹な視点から、介護を通した母親との壮絶な体験を、ペーソスあふれる文章で描き、絶大な支持をいただきました。コメント欄に胸を打つ投稿が相次いだのも記憶に残るところです。

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 この連載は『母さん、ごめん。 50代独身男の介護奮闘記』として単行本・電子書籍となり、介護関連の本としては異例の支持を集めました。22年1月には集英社文庫に収録されております(こちら。文庫版にはジェーン・スーさんとの対談が追加されています)。

 そして5年後。前回の最後は、松浦さんのお母様がグループホームに入ったところでしたが、今回はそこから今日まで起こったさまざまな出来事が語られます。

 介護施設に入居したことで、母親の介護は終わったのでしょうか。
 入居後にお母様、そして松浦さんを待っていたのはどんなことなのか。
 ぜひじっくりとお読みください。

(担当編集・Y)

 母のいるグループホームは「看取り(みとり)」に対応している。つまり、入居者がグループホームで最期を迎えることを想定して体制を組んでいる。

 グループホームは「健康に問題がない認知症の人」の入る施設だ。このため看取りは、特に悪いところのない老衰による最期を意味する。明らかに病気による衰弱が始まった場合は、医療行為が必要となるので病院に入院することになる。

 看取りに対する対応は、グループホームによって色々違うのだそうだ。看取りに対応していないグループホームもあって、その場合は、看取り対応の施設や、病院あるいはホスピスなどに送り出す。

 老衰の場合、だいたいの場合は食事が食べられなくなり、体重が落ちていくことで、「ああ、この人は寿命だ」と分かるのだという。「体格にもよるのですけれど、お母様程度の体格の女性の場合は体重40kgがひとつの目安です。これを切ると危険水域です」とは、Kグループホーム長の言である。母のいるグループホームでは、最後の数日については家族の寝泊まりにも対応する。

 老人ばかりが入居するグループホームは、けっこうな頻度で入居者が入れ替わる。病気で退居する人との入れ替わりや、老衰死で空いた部屋に新たな入居者が入る。前回の訪問ではリビングで介助を受けながら健啖な食欲を発揮していた人が、次の訪問ではもういない、というようなことが起きる。事情を聞くと「急に食べなくなって、3日で亡くなられました」ということだったりする。

不安がもたらす症状が突然顔を出す

 ホームのリビングは天井が高く、内装は明るく、日差しもきれいに入ってくる。それでも、入居者が入れ替わることで、否応なしに「ここは人が死に至るまでの最後の時間を過ごす場所だ」ということを意識させられる。

 新しく入居した方の認知症の症状は、前の方とはまったく異なるのが普通だ。母の見舞いと共に、それらの入居している人々と話し、観察していくことで、自分は、認知症という病気が非常に多様であることを実感した。認知症にはいくつもの原因があり、症状の現れ方は多様であると頭では知っていたが、実地に体験すると、その多様さは予想以上だった。
 と同時に、その根底には共通して「不安と安心」があることが見えてきた。

 母の入居当初、最初に話をするようになったのは、主に症状が軽い方だった。ご存じの通り、介護保険制度では、介護を受ける人を7段階に区分し、段階に応じた手当を行う仕組みになっている。家事や身支度などの日常生活に他者の支援が必要になり、助けないと次の「要介護」に進行する可能性がある状態を「要支援」、症状が進行して日常生活の動作に常時介護が必要になった状態を「要介護」と定義し、それぞれ「要支援1」「要支援2」、「要介護1」から「要介護5」と7段階に区分しているのだ。

 グループホームへは「要支援2」から入居できる。だから「要支援2」や「要介護1」の比較的認知症の症状が軽い人もいる。

 こういう方たちは、ちょっと見たところでは普通の人と変わらない。日常的な会話はできるし、私が家の老犬「ロンロン」を連れていくと、「かわいい!」と歓声を上げて集まってきて、代わる代わるだっこしたりする。

 ところが、まったくの健常ではないことが、ふとした拍子に分かるのだ。

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