――とまあ、こういったことを書くと「あいつはそろそろ年寄りだから、自分に利益を誘導するようなことを書いている」とか「公助を厚くするというけれど、その財源は若者だ。若者を足げにするのか」と批判する者が現れるものだ。

 前者に対しては「でも、人生は努力よりも偶然に左右されるものだと思うぞ」と答えるしかない。52歳で始まった私の介護も7年目に入った。私も還暦となり、痛感するのは「人生は努力と偶然で決まるが、偶然で決まる事柄が若い頃に考えていたよりもずっと多い」ということだ。

 自助を第一とする思考は「努力すれば報われる」という因果の認識に基盤を置いている。だから「脱落する者は努力をしなかったのだから、助ける必要などない」という考えが生まれる。

 が、実際の人生は努力イコール成果というような一直線のものではない。むしろはるかに運に左右される。因果関係よりも確率なのだ。

人間が社会を営む理由

 確率であるから大数の法則が適用される。すなわち、自助を社会の基本に置くと、一定割合で不幸に陥る人が確実に発生する。それを「お前の不幸は自助の努力をしなかったお前のせいなのだから、お前が独りで結果を引き受けろ」と切り捨てれば、社会は衰退する。人間は社会を営む動物なのだから、個々の不幸を、社会全体で柔らかく引き受けるべきなのだ。

 「公助を厚くするというけれど、その財源は若者だ。若者を足げにするのか」には、「だから人間は社会を営み、経済を回しているのだ」と答えよう。若者に過度の負担を回さないように、同時に公助を厚くするように、経済を運営すべきだ。私は、そのような経済運営は可能だと考えている。

 なにしろ、お金は物理学のエネルギーや運動量、角運動量と違って保存量ではない。保存量なら、あちらが増えればこちらが減るが、経済の基本である貨幣は、我々のチャレンジスピリット(欲望と言ってもよい)と経済政策によって、ゼロから作り出せるのだ。物理学では「魔法が使える世界」になってしまうものが、経済学では可能になる。魔法が使えるなら物理に遠慮せず、「そんなうまい話はない」などと言わずに魔法を使うべきなのである。

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