これに加えて地方自治体からの医療への補助金制度があったり、新型コロナ感染症のパンデミックが始まってからは、政府や自治体から給付金やら支援金やらが出たりで、なんとかかんとか、赤字になることなくグループホームへの入居を続けることができている。母はいくばくかの預金を持っているので、いざとなればそれを取り崩す覚悟だが、今のところそこまでの事態には至っていない。

 ごくおおざっぱな書き方、かつ世間にあまたあるケースのうちのたった一つなので、これをもってなにかを断言するのは難しい。ただし、昭和ヒトケタの生まれ(昭和9年)で、それだけ厚い年金が付いている世代の母にして、年金のみでグループホームに入居できるわけではないということは言えるだろう。不足分を月5万円とすると年間60万円だ。

 今年生まれた赤ん坊が平均何歳まで生きるかを「平均寿命」、そのうち何歳まで健康で生きることができるかを「健康寿命」という。平均寿命から健康寿命を引くと、平均で最晩年の何年を医療の厄介になって生きることになるかが分かる。2016年の厚生労働省のデータでは、男性8.84年、女性12.35年だ。それぞれ年60万円をかけると、530万円に、741万円となる。が、この数字に大した意味があるとも思えない。「最低これぐらいは貯金があったほうがいいよね」という程度だろうか。

自助努力が第一というのは嘘だ

 すこし前に「老後資金は夫婦2人で2000万円は必要」という数字が話題になった。最晩年の8年なり12年を収入ゼロ、子どもからの仕送りもなしで過ごし、何か重い病にかかった場合の医療費や死んだ後の葬式だ墓だというコストも考えると、確かにそれぐらいは必要になるということがなんとなく実感できる――その程度であろう。

 このように母のグループホーム入居に関する懐事情を振り返って強く思うのは、「自助努力が第一というのは嘘だな」ということである。

 もちろん、自分の人生を自分の意志と行動で管理するのは大切なことだ。しかし、何をどんなに頑張っても、人生にはそれを超える事態というのがあり得る。老後資金を2000万円貯めようが4000万円貯めようが、「それを超える事態」に見舞われる可能性は否定できない。

 だから公助がある。人々の小さな蓄積をまとめ上げ、さらに政府からの支援を注入し、運悪く、自分の努力を超える事態にぶち当たってしまった人々を支える。保険と同じだ。悪い事態に当たらなかった人は「払った分だけ損」というわけでもない。公が運が悪かった人を支えることで、より安定した暮らしよい社会になる。公助への支払いは、それだけ暮らしよい社会に生きることができるということで十分還元されているのである。

 人間社会は、各自の自発性を損なわないようにしつつ、公助を分厚くしていくことで進歩するのではなかろうか。「公助が第一」であって「自助努力は本人の自由」なのである。

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