そんな大叔父は、私が物心ついた頃、つまり半世紀とちょい前には、某巨大茶道流派の事務局長という仕事をしていた。

 一体どういう伝手(つて)があったのか今も私は知らないが、正月には大叔父のところに、高級な酒と一流料亭の最高級おせち料理が次々と届けられる。大叔父の家には、一族最年長となる大叔父の母、つまり私の曽祖母がいたということもあり、正月になると親族が集まってきた。すると最高の酒と最高のおせち料理が惜しげもなく振る舞われる。老いも若きも、洗練を極めた味付けと飾り付けのおせち料理を堪能する。男たちは盛大にタバコを吹かし、酒を飲み、声高に何事か議論し、そしてなぜかテレビで大学ラグビーを観戦するのが常であった。明治14年生まれの曽祖母はテレビが大好きで、親孝行の大叔父は当時まだ非常に高価だった20インチブラウン管のカラーテレビを買っていたのである。

 その場に「甥っ子の嫁」、すなわち私の母も列席していた。母の味覚が磨かれたとしたら、この場以外あり得ない。母と同じく、正月の大叔父宅には我々「甥っ子のところのちびちゃんたち」もいたのだが――なんたることか私には全く味覚の才能がなく、なんとなく素通りしてしまった。その代わり大叔父の用意した味の精髄は弟と妹に伝わった。今も2人は、けっこうな食道楽である。

 父はいつも「おじさんが死んだら、金輪際お前らにこんなええもん食わせられん。心して味わっておけ」と説教してから、我々を連れて行ってくれたものだ。実際、その通りになった。

あれ? 食事がおいしくなってきた!

 ところで後日談。グループホームに鰻折り詰めを届けて母に食べさせ、自分はグループホームの食事を食べているうちに、徐々に食事の味が向上していることに気が付いた。

 種明かしをしてくれたのは、母が入居するユニットのスタッフリーダーを務めるOさんだった。

 「面と向かって大きな声でまずいっと言われるとですね、僕らもやっぱり悲しいし傷つくわけです。でも、そのうちむらむらと反抗心が湧き起こりましてね。なんとかして松浦さんにおいしいと言わせてみよう、と随分とみんなで色々とやってみたんです。レシピを調べたり調理法を工夫したりですね。それで、ここまで来たんです」

 結局のところ、グループホームにおける入居者の満足は、働くスタッフ一同の不断の努力の上に成立しているのであった。

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