これもなかなか難儀なことで、お店も臨時休業だったり、こっちがうっかりして休業日に墓参りに行ってしまったりということがある。そのために、別途セカンドオピニオン……ではないが、母が元気な頃は「ここは2番目だね」と言っていた鰻のお店を確保してあり、そちらの折り詰めを調達する。が、これが母に見抜かれる。そして認知症で自制心が消失している母は情け容赦ない。

 2番目のお店の折り詰めを前に「なにこの鰻、おいしくない」と大声で詰められると、心底がっくりくる。一体何のために一日かけて墓参りに行き、鰻折り詰めを買ってきたのか。墓参りはむしろついでであって、目的は日々「ごはんがまずい」という母になんとかしておいしいと感じる食事を食べさせるためだ。それなのに「まずーい」と言われるのだから「二度と買ってこないぞ」という気分になる。

 それでも2~3カ月に1回だから、十分耐えられる。自宅介護の時はこれが毎日だったのだから。

 これに加えて年に数回の家族との食事会などもあり、ホームの食事を食べるということを繰り返したおかげで、だんだん事情が分かってきた。

調味料差し入れプランは断念、しかし

 時々、私でも「おいしくないなあ」と思う食事に当たる。
 母は認知症で自制が効かなくなっているだけではなかった。確かにおいしくないこともあるのだ。日々頑張っているスタッフの方々を前に言い切ってしまうのは大変に申し訳ないのだけれども、食事当番となったスタッフの腕前の差だ。事前に予想した通りである。

 そこで考えたのが、ホームに高級な醤油、味噌、みりんなどの調味料を差し入れするということだった。私の乏しい自炊経験からすると、良質の調味料は調理の腕をカバーする。どんなに下手な腕前であっても調味料さえ良ければ、最悪の味付けは回避できる。

 が、このことをLINE経由でドイツ在住の妹に相談したら反対された。「そりゃ、そのときはそれでいいと思うよ。でも調味料っていつかは使い切っちゃうでしょ。使い切った時にまた差し入れするの? 同じもの買って下さい、ってお願いするのは無理だよね。続かないことはやるべきじゃないと思うな」――まったくもってごもっとも。というわけで、高級調味料の差し入れというプランは放棄した。

 妥協策として行ったのが、主に果物を、箱1個というような単位でどさっと差し入れするということだった。

 私の父は農業経済を研究し、日本全国の篤農家を訪ね歩いていた。仕事の一環として、全国の優れた栽培技術を持つ人々をつないで相互の交流を促進していたのである。父の没後はその人脈を母と妹が引き継ぎ、産地直送で、普通にスーパーで買うよりもずっとおいしい果物やら野菜やらを買っていた。

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