「近所の子たちに“いつ来てもいいよ、お菓子あるよ”って言ってあるんです。もちろん入居の方にすれば、子どもがちょろちょろ来るとうれしいというのはあると思うんですよね。ひょっとしたら『うるさい来るな』なのかもしれませんけれど」とKホーム長は言った。「それとは別にね、子どもの側にしても、こういうおじいさん、おばあさんが同じ社会にいるんだ、ということを少しでも知っておくことは、決して悪いことじゃないと思うんですよ」

 この話を聞いた時に、私は「これは母のために、良いグループホームを選ぶことができたのかもしれない」と思ったのだった。

 Kホーム長、そしてスタッフの皆さんに大変申し訳ないことではあるが、母が入居した当初の自分の懸念は、「スタッフによる虐待行為があったらどうしよう」というものだった。

 この懸念は何よりも自分の体験に基づくものだった。いくら自分の母であっても、2年半の自宅での介護はつらく、苦しく、精神的に強いストレスを感じるものだった。自分は母に手を上げたことが、グループホーム入居のきっかけになったというのは前回の連載で書いた通りだ。

 私は、このことがグループホームのスタッフにも言えるのではないかと恐れていた。いかに仕事として入居者と関わるとしても、そこには強いストレスがあるのではないか。時には耐え難い感情に襲われるのではないか、と考えたのだ。

 同時に、この考えには、母が入居する半年前、2016年7月に起きた相模原障害者施設殺傷事件も影を落としていた。知的障害者福祉施設のスタッフが入所者19人を殺害、26人に重軽傷を負わせた衝撃的な事件は社会に大きな衝撃を与え、母が入居した2017年1月時点もメディアに続報が出る状態だった。

 全くもって「自分がやったことを棚に上げて、何を心配しているのか」なのだが、私は真剣に対策を考えた。

スタッフとの信頼関係からすべては始まる

 たどり着いた結論は、「とにかくスタッフに話しかける。スタッフと話をする。話をすることで、自分という人間を分かってもらう」というものだった。

 話をすれば、スタッフに私という人物が印象付けられる。そのスタッフが何か母に関連して耐えられないストレスを感じ、思わず手を上げそうになったその瞬間、私の顔を思い出してくれるなら、それは抑止力として機能するのではないか、と考えたのである。

 幸い、話の種はある。母そのものだ。グループホームでの母の状態を知りたければ、スタッフと話をするしかない。母自身から聞くこともできる。が、意地やら遠慮が働くし、何より認知症で記憶が続かない母の話は、要領を得ないことも多い。

 というわけで、私はホームに赴くごとに、スタッフと積極的に話をするように努めた。母との面会と同じぐらいの時間を、スタッフとの会話に使うようにした。

 話してみれば、スタッフの皆さんは“普通の人たち”だった。それぞれに生活があり家族があり、生活の楽しみがあり、人生の目標があり、希望を持って生きていた。認知症高齢者グループホームで働くというのは、特別なことではないのだ――そう私は知った。それはこの社会に数多く存在する職のうちの一つなのだ。

 そしてこの後、私は母の住む西ユニットで働く9人のスタッフの中でも、ケアマネジャーのYさんと、スタッフリーダーであるOさんの2人に、ずいぶんとお世話になることになるのである。

(つづく)

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