2017年3月、「『事実を認めない』から始まった私の介護敗戦」から連載を開始した、松浦晋也さんの「介護生活敗戦記」は、科学ジャーナリストとしての冷徹な視点から、母親を介護した壮絶な体験をペーソスあふれる文章で描き、大きなご支持をいただきました。コメント欄に胸を打つ投稿が相次いだのも記憶に残るところです。

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 この連載は『母さん、ごめん。 50代独身男の介護奮闘記』として単行本・電子書籍となり、介護関連の本としては異例の支持を集めました。22年1月には集英社文庫に収録されております(こちら文庫版にはコラムニストのジェーン・スーさんとの対談が追加されています)。

 そして5年後。前回の最後は、松浦さんのお母様がグループホームに入ったところでしたが、今回はそこから今日まで起こったさまざまな出来事が語られます。

 介護施設に入居したことで、母親の介護は終わったのでしょうか。
 入居後にお母様、そして松浦さんを待っていたのはどんなことなのか。
 ぜひじっくりとお読みください。

(担当編集・Y)

 2017年1月30日、私は2年半の自宅介護の末に、母をグループホームに入居させた。

 自宅介護の一部始終は、日経ビジネス電子版(当時は日経ビジネスオンライン)に「介護生活敗戦記」として連載し、『母さん、ごめん。』という本にまとまった。

 が、介護は親を施設に預けたらおしまいになるわけではない。その後5年以上が経過したが、今も私の介護生活は続いている。

 自宅で面倒を見ているときに比べて、ずっと負荷は減った。なによりも心強いのは、今はグループホームに勤務するプロフェッショナルのスタッフの方々のバックアップを受けることができる、ということだ。

 それでも認知症は不可逆に進行し、私は母の変化に振りまわされ続けている。母が元気だった頃の生活は戻らない。そして、「母を預けている」という状態でも、なにもかもがうまくいくわけでもない。

 これから書き記していくのは、2017年1月30日から始まった、「自宅介護の、そのまた次の段階」の記録である。あくまでサンプル数1なので、過度の一般化には注意して読んでもらいたい。なお、人間関係に代表される微妙な事柄についての記述は若干の脚色をしてあることを、先にお断りしておく。

母をだまし討ちにしたのではないか

 母を預けた直後、私は溜まりにたまった疲労が噴出してひっくり返ってしまった。朝食を食べるとまたよろよろと寝床に潜り込んで寝てしまい、気が付くと夕方、という生活がほぼ1カ月続いた。考えてみればぜいたくな話で、フリーランスでなければこんな生活はできなかったわけだが。

 ある程度体力が回復すると、私は寝床の中で「これからどうすべきか」と考えるようになった。

 「母は預けた、はいもうおしまい、会いにも行かない」ということも可能ではある。が、それはできないと考えた。母を憎んでいるわけではない。最後の日まで支えられるところは、支えていかねばならない。

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