逆風、逆風、また逆風――。
起業家には波瀾万丈(はらんばんじょう)な人生を歩んできた人間が多いが、中でもとりわけ逆風続きの経営者。しかし、何度逆風にさらされようとも、負けずに事業を成長させ続けている。そんな男を、今回は紹介したい。YOLO JAPAN(大阪市)の加地太祐社長だ。

いつ顔を合わせても、白縁メガネ、ベレー帽ー―など、奇抜な格好をしている。しかし、第一印象からは想像できないほど、実に真面目で誠実な男だ。
YOLO JAPANは現在、在留外国人向けの福利厚生事業を手掛けている。新型コロナウイルス禍による「鎖国」が事業を直撃したのは想像に難くないが、彼に吹き付けてきた逆風の歴史は、そんなたやすいものではない。
彼は、学生時代からいわゆるエリートではなかった。高校を中退し、20代前半までは溶接工などの仕事に従事。ある時、先輩社員に連れて行かれた外国人パブで、全く英語を話せない自分に衝撃を受け、「外国人と話せるようになりたい」という一心で、すぐに谷町九丁目(大阪市)にある英会話スクールに通い始めたというのだから、行動力がものすごい。
しかし、1年後の2004年にその英会話スクールが倒産。なぜか生徒だった彼に、外国人教師や事務員さんから「加地さん、給料を数カ月もらっていないままオーナーが失踪してしまったので助けてください!」と言われてしまう。彼は、目の前の困っている人を救うために一肌脱ぐ男だ。周りからの切実な声に応えて、400万円を借金し、サラリーマンと兼業で新たに英会話スクールを営むaim(現YOLO JAPAN)を設立し経営者となる。当時、まだ24歳だった。24歳の彼にとって、400万円の借金の重さは私の想像の域を超える重みがあったに違いない。
しかし、3カ月で資金は尽き、自分にすがってきた従業員は退職。さらに英会話スクールの経営を任せた弟が病気で亡くなってしまうなど、苦難は止まらない。客観的な立場から出来事を聞いているだけでも投げ出したくなってしまいそうだが、彼はこのどん底の時期にサラリーマンを辞め、英会話スクール経営にすべてを注ぐ覚悟を決める。
経営する立場になって分かったのは、ビジネスモデルが破綻していること。生徒全員が毎回通い、席をすべて埋めても赤字になるずさんなものだった。そこで、オンライン英会話のオプションメニューを追加。この試みが功を奏し、60人ほどだった生徒が3000人近くまで増えた。さらに、大手英会話学校が倒産して職を失った多くの外国人を雇った。人を救うためにまた一肌脱いだこの行動がメディアに取り上げられ、生徒数の増加につながった。
事業がやっと軌道に乗った中、また彼は大きなアクシデントに見舞われる。15年、自転車を運転中に道路の溝に転落してしまったのだ。顔に大きな傷が入ってしまっただけでなく、意識不明に陥った。次に彼が目覚めたのは、なんと5日後だった。
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