(写真=的野弘路)
(写真=的野弘路)

 まずは自己紹介を兼ねて、僕の生い立ちやキャリアについて触れられればと思う。

 大阪のとある商店街で洋服屋を営む家庭に生まれた。小さい頃から商売は身近にあり、父親からは「一国一城の主になれ」と言われてきた。跡継ぎを期待されての言葉だったのだろうが、僕は解釈を間違え、起業への意欲を燃やすようになった。「起業しよう」「将来は経営者になろう」との思いで神戸大学経営学部に進学したものの、入学後はそのような決意も忘れて自由を謳歌する毎日を過ごした。

 そんな自分にとって転機が訪れた。1995年1月17日に発生した阪神大震災だ。兵庫県は大きな被害に見舞われ、僕も友人を亡くした。

 友の死に触れて、ふと立ち止まった。「いったい何のために大学に来たんだろう」。そのとき、自分でビジネスを立ち上げようと思っていた初心をようやく思い出した。「やりたいと思ったことには、一刻も早く取り組もう」。そう思うと居ても立っても居られなくなり、中古の教科書の転売ビジネスを始めた。無邪気に「もうかる」という動機もあったが、学生のニーズに応えられると思ったのと、全国規模で展開できるビジネスだという魅力も感じた。

 特別大きな成果を上げたわけではない。だが、テレビに取り上げられたこともあって、ある経営者の方とお話しする機会をいただいた。その際、経営者の方から「谷井くん、この商売、一生やるんか?」と問い掛けられた。勢いで始めたビジネスだったため別段じっくりと考えたこともなく、即答できなかった。「一生やるつもりがないならやめなさい」。いただいたアドバイスに従い、教科書転売ビジネスをやめ、就職の道を選んだ。

 時は1996年。インターネットが一般人に広がる兆しを見せ始めていた。勃興するであろうインターネットビジネスに携わりたかったため、NTTに就職した。しかし、やりたい仕事ができる部署に配属されるには10年くらいかかると分かり、気が遠くなった。

 NTTはあらゆる仕組みがしっかりと構築されている素晴らしい大企業だった。だが、一刻も早く裁量権を持ってビジネスを動かしたい僕のような若手にとっては、どうしても遠回りに思えてしまう環境に思えてしまった。20代のキャリア人生を下積みに充てるのは嫌だと思い、1年足らずで退職した。

 退職後、しばらくは無気力な時間を過ごした。仕事もせず、昼に起きて夜中まで遊ぶ生活を続けていた。親から「両親共に必死になって働いているのに、申し訳ないと思わんのか!」と叱られたこともあり、「おやじの店で働かせてくれ」と頼み込んで洋服屋で働かせてもらうことになった。働き始めて目的ができると、気持ちは前向きになるものである。売り上げを伸ばすにはどうすればいいか、必死に考える日々を過ごした。

 いろいろな策を試した結果、店前の通行量調査の結果を基に、取り扱う商品のブランドチェンジを決断した。若者向けのスーツをメインとした、ビジネスアイテムに特化した店に転換したのだ。すると、売り上げが一気に上がり、黒字化した。

 大きな手応えを感じたが、取引先の担当者と話をしている時に、「等くん、羨ましいな。こんないい店、お父さんに残してもらって」と言われたのである。自分で工夫して店を黒字にしたのにもかかわらず、だ。僕にはその一言が「お前、親の七光りやぞ」と聞こえてしまった。「本当に自分自身を認めてもらうためには、ゼロからビジネスを創るしかない」という思いが膨らんでいった。

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