「俺はこのままずっとリクルートで働くのか……?」と。毎日のように経営者と向き合い、経営者を輩出してきたリクルートで働いていることに影響を受けたのだ。最終的に「まだ若手と呼ばれるうちに、一度自分でビジネスをやってみよう」と独立を決意し、10年3月に人材採用コンサルティングを行うトッパ(大阪市)を設立する。
その頃はまだリーマン・ショック後の金融危機が続いており、周りから寄せられる声は「今はやめておけ」というものばかり。こう言われれば言われるほど、彼は燃える性格だ。「これだけ反対されるからこそ、俺はやんねん!」「この最悪のタイミングで起業して生き残ることができたら、何も怖いもんなんてないやん!」と、リスクをチャンスと捉えたのだ。
予測不可能な時代の中で事業を行うからこそ、はやりすたりに左右されたくない。歴史を持ちながら、これからも長く続いていくものをビジネスにしたい。そんな思いから彼が目を付けたのが、カレンダーだ。
毎年1月にカレンダーが大量廃棄されるということを知り、何かの本で読んでから「捨てるモノを売るヤツが一番強い」という考えを持っていたので、そのカレンダーを売ろうと決めた。カレンダーを扱う店舗に足を運び、「捨てるならください」と廃棄するカレンダーの在庫を引き受け、1月に万博記念公園(大阪府吹田市)のフリーマーケットで売りさばいた。
ところが、単価は200円程度で、売上数量は数百というところで、インパクトが小さすぎた。数百人しか訪れないフリマで売っているようではもうからない、ECで全国に売らなくては。こうして、11年6月にレスタスの前身となる名入れ製作所を創業する。
名入れカレンダーのようなオーダーメード商品は、手間が掛かる。「どこに名前を入れるか」など、細かな打ち合わせを重ねなければいけないからだ。そのため、ECには向いていない。町の印刷業者が楽天市場などで注文を受けて受注制作することはあったかもしれないが、名入れカレンダーに専門特化している企業は当時なかった。ECモール大手も参入してこない領域だろうと予測できたからこそ、この事業でいこうと決めたのだ。
サプライヤーとなるカレンダー制作会社と提携して座組を固めたことで供給が強固になり、競合他社に比べ、安い価格設定と圧倒的な短納期を実現させた。
かつ1000万円あった広告宣伝費の予算を3カ月で600万円投下。一気に投下したことが功を奏した。順調に事業は成長し、1年目の売上高は約2700万円に上る。しかし、当時は彼を含め3人体制で、問い合わせ電話対応から見積もり、受発注管理までをやりくりしていたため、見積書や商品にミスが相次ぎ、全国におわび行脚に追われたという。
ECでありながら、受発注業務のデジタル化がまったくできていなかったことに原因があった。そこで2年目には受発注管理システムを外注で構築。自動化によりミスが減少、業務効率が上がり、多くのリピーターが付くなど年々利幅が大きくなった。この受発注システムが後に進化を遂げ、今日のレスタスの躍進につながるわけだが、この後継システムについては後半で触れることとする。
そんな名入れカレンダーは年末のあいさつで配られる物なので、繁忙期は秋から年末に集中する。そのため彼は繁忙期に必死で働き、それ以外の半年間は会社に行かず、あちこち旅行にばかり出掛けていたというエピソードもある。一定の成功を収めて、満足もしていた。
あるとき、彼に転機が訪れる。それは、「秀吉会」という経営者の会合に参加したときのこと。そこで、あるメンバーにこんなことを言われてしまったのだ。「お前はまったく芯がないな。むいてもむいても何もない。たまねぎか」と。ひどい言われようである。
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