個性に富んでいなければ…

均一化は合理化にも近い言葉ですが、ビジネスの現場、あるいは日常の中でも均一化、合理化を進めようという流れがありますよね。

浅田氏:日本というのはある種、実は社会主義国家なんです。平均的で、皆が幸せを享受できる社会を理想としている。だからその通りになってしまっている。

日本では米国などのように飛び抜けて成功する人が少ないようにも思えますが、こうした点が背景にある気がします。

浅田氏:いても何かちょっと変だな。今の若手起業家で財を成した人はそれなりにいるけど、そんなに立派な人に思えないんだ。僕らの世代でいえば、例えば孫正義みたいな飛び抜け方をした人って同じ起業家でもちょっと違うよね。

 頭のいいやつばかりだからなのかな。東京大学出身の起業家とかが最近やっぱり多いじゃないですか。それで本当にいいのかなと思いますけどね。もっと個性に富んでいないと真の企業はつくれないんじゃないかと思う。飛び抜けて優秀な大学を出た人というのはやはりある程度均一化されていると思う。何をもって自分の理想とするか、というのはもっと人それぞれ違っていい。

人が描くゴールというか、理想が画一的になってしまっている。

浅田氏:僕らの時代からそういう傾向はあったけれど、当時は大学進学率もさほど高くなかった。だから大学は行っても行かなくてもどっちでもよくて、その中で多様な人生を選べたんだけど、いざみんなが大学に行くということになると、大学のレベル、スクールネームで就職が決まりますわな。それは変えようと思ってもなかなか変わらない。

 ただ、これからは変わってくるんじゃないかな。終身雇用という考え方がなくなり始めた。できるだけいい大学を出て、できるだけ立派で大きな会社に行って、定年まで働くというのが一番幸福だと信じられてきたけれど、それが崩壊しつつある。冒険するやつが出始めたということだね。

話がそれましたがサウナの話に戻しましょう。現在、サウナは都市部を中心に空前のブームとなっています。都会では余計に画一的に、「仮面」を被ってでもその理想とされるルートを歩まないといけないという気がしていて、こうした仮面をはぎ取りたいという心理がブームの背景にあるのではないかと思っています。

サウナたり得る条件が失われている

浅田氏:僕は他人と自分をあまり比べたことがないからなぁ。まともに育った人、あるいは会社員生活を長く続けている人は他人と比べて自分はどうか、というのを確認しなければならないだろうけど、僕は小説家になることしか考えていなかった。他人の人生なんか全く関係ないからね。そう考えた方が生きやすいけれど、おかげで社会性はゼロですよ。はたから見たら変なやつだと思います。

 そんな僕には、「1万円のサウナ」はぴったりだったんですよ。他人と触れ合わないで済む場所だった。高級だった分、今みたいな混雑はあり得なかった。僕にとってサウナは、混んでいたらだめな場所。今は設備が充実している施設でも高くて数千円でしょう。だから混雑する。ハードルを上げればガラガラになる。それが僕にとっては一番理想的なサウナなんだよ。

大衆化の弊害ですね。

浅田氏:大衆化するということは高級感が失われるということ。その時点で本来のサウナたり得る条件が失われる。やっぱりサウナ室には1人か2人いるくらいのものだと思っていて。今みたいにひな壇にずらっと人が並んでいるのは嫌じゃないのかな。僕は嫌ですよ。

私がよく行くサウナは6人しか入れないのですが、大体いつ行っても満員です。

浅田氏:それは嫌だね。サウナ歴が長いと、いろいろな事故なんかも目撃するわけ。サウナの中で血管が切れちゃって失神するやつとか、何人も見てきましたよ。混んでいるところで隣で死なれても困るという、なんかそういう恐怖感もあるんだよね。そんなこともあって隣の人との距離というのはすごく気を遣う。

本来はそれくらいの余裕を持って入るところだと。

浅田氏:お風呂もそうでしょう。温泉旅館に行って、団体客がいて混んでいる大浴場は嫌です。ひなびた山あいの温泉で1人で風呂を独占したときの満足感を思い返してほしい。それは当然サウナにも援用されるものですよ。サウナだってごくたまにがらんとしたところに1人で入るケースがないわけじゃない。そのときの開放感たるや。

 だから、私としてはサウナブームはあまり歓迎はしていない。どうだ、サウナの魅力が皆分かったか、という思いよりも自分が楽しみづらくなったな、という利己的な考えが勝ってしまう。オールドサウニストは大体同じことを考えると思います。

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