掲載直前に起きたロシアのウクライナ侵攻

 本欄担当のYです。
 今回は、すこし長い前書きを書くことをお許しください。

 今回の筆者であるA君は、白い肌に金髪碧眼長身の、ロシア国籍を持つ大学生です。日本に長く暮らしているご両親もロシア人。A君は日本で育ち、日本語の読み書きはもちろん、メンタリティもほとんど日本人。でも周囲は、彼を外国人と認識し、時には共同体に入ってくることを拒んだりもします。一方、A君のご両親は日本語を話さず、ロシア文化を守り続けています。

 学校や社会と、家庭とで、2つの文化に触れて育ち、「自分はそのギャップを受け入れるべきか、どちらかに絞るべきなのか」について、A君は長い原稿を何度も何度も書き直してくれました。「見かけが日本人でなければ、日本人として暮らすことは難しいのでは」。そんな問いが生まれ、真摯に悩んだ彼の原稿をお目にかけるのが、担当編集としてとても楽しみでした。

 ところが、公開直前に、ロシアのウクライナ侵攻が発生しました。

 このタイミングで、A君の原稿をそのまま掲載すれば、我々も本人も望まないハレーションが発生するのではないか。個人と国とは別、とはいえ、一方的な侵略戦争の当事国の国籍の人間が、こんな「のんき」な話をして、好意的に受け止めてもらえるものだろうか。根が小心なので、悪い可能性ばかり考えてしまいます。「いっそ、国籍を伏せて……」という手も思いつきましたが、いやいやそれではA君が書く意味がない。残念だけれど、これはボツにせざるを得ないのか。

 そうしたらA君は、真っ正面から自分の思いをつづったテキストを新たに書き起こしてきました。ご両親も「これでいい」と言ってくださったそうです。自分は彼のこの覚悟に最大限応えたい、と考えます。

 個人情報や表現については伏せているところがありますが、A君の言いたいことは伝わると信じて、以下、掲載させていただきます。ぜひ、最後のページまでご覧ください。

外では日本人、家ではロシア人

 いきなりですが、自分はロシア人です。両親ともロシア人で、日本人の家族は一人もいません。日本人と同じように日本の学校に通い、今はある大学に通っています。

 両親は日本語を使わない仕事に就いているので、日本語で話すことはできません。家では常にロシア語での会話です。しかし、私は家以外では完全に日本社会で生活しているので、母国語は使わずに日本語だけで生活をしています。

 「家の中ではロシア文化、外では日本文化」という、2つの文化の間で生きているわけです。
 これだけでもややこしいのですが、さらに、自分は外見が完全に外国人なので、自分が日本人のつもりでいても、日本人からは「外国人」と見られ、英語で話しかけられたりするのです。

 『人は見た目が9割』という本があるそうですが、「見た目は完全に外国人、生活の場はほぼ日本人、家に帰るとロシア人」の自分は、日本の社会の中でどう受け止められてきたのか、これから就職活動を始め、それが終わればいよいよ日本で一人の社会人として生きて行くことになるわけですが、その前に自分自身で振り返ってみたいと思います。

 まず「日本語うまいですね」と驚かれる、言葉の問題から。

 幼少期に日本に来たのですが、片言なりにロシア語は話せました。しかし日本語はもちろんまったく理解できません。幼稚園に入園してから日本語をある程度話せるようになるまで、自分の記憶が正しければ1年ほどかかったと思います。

 なので、幼稚園ではなかなか友達もできません。一人、部屋の片隅で人形を使って遊ぶなどして、ただただ親の迎えを待っていました。1年ほどこんな生活が続いたのですが、気づいたら日本語が話せるようになっていました。

 今でも友達から「どうやって日本語を勉強したの?」と聞かれますが、答えは単純で、日本人と同じ生活をしていたからです。幼稚園のころの記憶は何も残っていませんが、コミュニケーションが成り立つようになってくると自然と友達もでき、休みの日は団地の遊具で遊ぶことが増えました。小さい子どもの柔軟性は本当にすごいですね。しかし、そうは言っても、幼稚園時代は親と過ごす時間がメインで、社会とふれあう時間はほとんどありません。

 そのレベルを超えて、「見た目以外はほぼ日本人」に私がなり始めたのは、次の引っ越しを経験してからでした。

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