『日経ビジネス』は経営者を中心に優れたリーダーの決断や哲学、生き方に迫る多数の記事を掲載してきた。その中から編集部おすすめの記事をセレクトして復刻する。第16回では、りそなホールディングスの改革に奔走し、2012年に世を去った細谷英二氏に迫った2004年の記事を取り上げる。
(注)記事中の役職、略歴は掲載当時のものです。
2004年12月20日号より
経営危機に陥ったりそなに移って1年半。改革の成果が見えてきた。旧国鉄時代に味わった修羅場での議論が、銀行再建に生きる。改革は人の意識から…この信念は揺るがない。

熊本弁がかすかに残る朴訥とした語り口、細身で小柄な体。2003年6月、東日本旅客鉄道(JR東日本)副社長だった細谷英二が、りそなホールディングスの会長に就任した時、多くの人が、鉄道会社の役員が銀行のトップに転じると聞いて驚いた。細谷が国鉄改革に貢献した1人と聞いても、「だからといって銀行の再建ができるかどうか」といぶかる向きが多かった。
だが、その一方で細谷の歩んできた道のりを知る人からは「りそなは面白い銀行に生まれ変わるかもしれない」というつぶやきが漏れた。外柔内剛。こんな言葉を思わず当てはめてみたくなるのが、細谷という人物である。
JR時代の細谷といえば、大量輸送の鉄道事業に顧客管理の発想を持ち込んでクレジットカードの「ビューカード」の事業を始めたり、駅の中に「ユニクロ」や「無印良品」といった流行の店を入れるなど、次々と新規事業を起こし、鉄道業を大きく変革させた。
JR東日本の後輩で常務の冨田哲郎は「今になって考えれば当たり前の事業だが、10年、15年前に先を読んで手を打っていた」と語る。これからは環境に対する姿勢が問われる、と植樹の必要性を訴えたのも細谷だった。
細谷とともにJR東日本のサービス改革に取り組んだ江上節子フロンティアサービス研究所長は彼の仕事ぶりを「着眼大局、着手小局」と例える。
細谷に言わせると、事業を考える場合、まず現実を直視して、問題をつかむ。そのうえで議論を尽くして「あるべき姿」を描き、次に何をすべきか、探る。経験や感覚に頼らず、あくまで「論理」で戦略を考えるのだという。
会長に就任したのは58歳の時。何もりそなという火中の栗を拾わなくても、そのままJR東日本に残れば、最大手の子会社、東日本キヨスクの社長というポストが用意されていた。にもかかわらず、細谷はリスクの大きい改革に挑む道を選んだ。
「常日頃から、若い人に、他流試合で通用する人材になれ、と言ってきた。自分が率先垂範しなければ、私の哲学に反する」。誠実を旨とする、細谷らしい選択だった。
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