ソクラテスやプラトン、アリストテレスといった古代ギリシャの哲学者たちの思想に魅了された佐藤。その哲学的な思想とタカラの経営で培ったマネジメントのノウハウを合体して編み出したのが、「7育3V法」とでも呼ぶべき教育手法だった。

 それは次のようなものだ。

 佐藤はタカラ時代、経営の要素を「人事組織」「財務経理」「商品企画開発」「生産」「販売」「広報宣伝」などの機能に分け、それぞれの現状を把握したうえで、目標(Vision)を設定していた。さらに、それを実現する行動計画(Venture)を作成し、1年後の到達目標(Victory)を掲げる。こうすることで、機能別組織が目指すべき方向を明確に示したり、それぞれの計画の進捗状況を把握したりしていた。

 佐藤はこの仕組みを人生の経営に応用しようとした。まず、企業経営の機能の代わりに、人生の構成要素として「7つの育」を考案する。①モラルを守る「徳育」②家庭を円満にする「家育」③知識や能力を習得する「知育」④心身の健康を維持する「体育」⑤美的感性を養う「美育」⑥人生を楽しむ能力を培う「遊育」⑦経済力を身につける「財育」——の7つだ。

 7つの育ごとに目標や行動計画、1年後の到達目標をそれぞれ設定し、行動計画の進捗状況を把握しながら、人生の目標達成を目指す。

 佐藤は、東京・上野と福島市に開講した「佐藤安太実践経営塾」で、この教育手法を使って中小企業の経営者に人生経営を教え始める。さらに故郷の福島県いわき市や、岡山市の職員の研修でも、この手法を用いて人間力の高め方を指導するなど、「人作り」に目標を定めた第2の人生の活躍の場を広げてきた。

 ところがその矢先のことだ。母校から「大学院の博士課程で学び、博士号の取得に挑戦してみないか」という誘いが舞い込んだ。山形大学にしてみれば、卒業生の中でも出世頭の1人である佐藤が博士号の取得に挑んでくれれば、2005年に開講した「ものづくり技術経営学専攻」の絶好の宣伝になるという計算があったはずだ。

 しかし、当の佐藤は83歳という高齢もあり、すぐに首をタテに振らなかった。逡巡する佐藤に決断を促したのが、入学後に指導教官となる教授の高橋幸司が言い放った一言だった。

 「あなたがしていることは今のままでは独り善がりの宗教にすぎない。客観性のある学問の領域まで高めなければ、いずれは誰もあなたの教えに耳を傾けなくなる」

 ショックだった。だが、うなずける部分もある。佐藤は博士課程への進学を決意。入学後は千葉県の自宅から東京都内の山形大東京サテライトに足繁く通い、月1回のペースで米沢市のキャンパスにも足を運んだ。

 「自分が築き上げた教育手法をきちんとした学問にしたいという一心だった」と佐藤は話す。

 その思いの強さゆえだろう。佐藤は自分の息子と同世代である高橋の指導に異を唱えることなく、「はい分かりました」「おっしゃる通りです」と従順に聞き入れてきた。企業トップの経験者に見られがちな傲慢さや頑ななところは一切なかったという。

 一方で、博士号の取得は人一倍の執念を見せた。高橋によると、佐藤は入学してすぐに「どうすれば博士号を取れるのか」と聞いてきたそうだ。

 「所定の単位を取得する以外に、学位論文を書いて、それが学会誌に掲載されることが必要だ」と答えると、早くも3年ある博士課程の1年目に佐藤は論文を書いてきた。

博士論文が海外でも注目される

 それは自らの教育手法を論文にまとめたものだった。それから高橋の指導を受け、2009年4月に日本工学教育協会の「工学教育」に投稿する。だが、この最初の論文は掲載を拒否された。主な理由は「十分に論文の体裁をなしていない」というものだった。