『日経ビジネス』は経営者を中心に優れたリーダーの決断や哲学、生き方に迫る多数の記事を掲載してきた。その中から編集部おすすめの記事をセレクトして復刻する。第10回は独自のモノ作り哲学を実践するスズキの鈴木修氏に迫った2001年の記事を取り上げる。

(注)記事中の役職、略歴は掲載当時のものです。

2001年11月5日号より

独自のモノ作り哲学を実践し、小型車作りでは高い評価を得てきた。 毎年秋の恒例行事、工場視察では今も現場に立って改善点を指摘する。「このままでは公的資金の注入が必要」と製造業の空洞化を警告する。

(写真:清水 盟貴)
(写真:清水 盟貴)
鈴木 修(すずき・おさむ)氏
1930年1月生まれ、71歳。53年3月中央大学法学部卒業。58年4月鈴木自動車工業(現スズキ)入社。2代目社長、鈴木俊三氏の娘婿となる。63年11月取締役、67年常務、73年専務。78年から22年間社長を務め、2000年会長に。関係を深める米ゼネラル・モーターズ(GM)のジョン・スミス会長とは20年来の盟友。

 「下手すりゃスズキがつぶれることだってある」

 10月初旬のある日、場所はグランドホテル浜松。スズキの自動車を販売店に卸す代理店経営者が全国から集まって総会が開かれた。その挨拶で、スズキ会長の鈴木修はこんな衝撃的な言葉を発した。

 その場に居合わせた石黒佐喜男(秋田スズキ会長)は、一瞬、自分の耳を疑った。「鈴木自動車工業時代から40年以上総会に出続けてきたが、ここまでの危機感を感じたのは初めてだ」。

 1909年に初代社長の鈴木道雄が浜松で興した町工場、鈴木式織機製作所は、その後、鈴木自動車工業、スズキと社名を変えつつ、事業領域を拡大、今では連結売上高1兆6000億円の自動車メーカーに成長した。

 軽自動車を中心とする小型車メーカーとして高い競争力を誇ると同時に、インド、ハンガリーなど、海外への展開も進め、浜松の一地方企業から国際企業に脱皮した。

 商品単価が低い軽自動車は、ローコストオペレーションによる生産性の高さが勝負。スズキはトップダウンの徹底した合理化作戦で、他メーカーに圧勝してきた。そのスズキのトップが「つぶれるかもしれない」という危機感を初めてあらわにしたのだ。

 「年々危機感が強くなるね。こんな工場だったのかと。今年なんか特に感じた」

 鈴木がこう話したのは、今年の工場視察が中盤にさしかかった頃だ。鈴木をはじめとする役員、幹部社員が、自社の工場はもちろん、関係の深い部品メーカーの工場を見て回る「工場視察」が始まったのは88年の秋。現在では、毎年の恒例行事となった。

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