優れたコストカッターの顔

 しかし、そんな雰囲気だけで判断すると、経営者としてのストリンガーを見誤ることになる。ストリンガーは「コストカッター」として本領を発揮するからだ。1997年5月のソニー入社以来、大胆なコスト削減で実績を作り、のし上がってきた。ストリンガーの指揮下で米ソニーは、昨年までに合計9000人の人員を削減し、年間7億ドル(約735億円)のコストを削減した。

 「CEOの出井さんが私を雇った1番目の理由は、映画などのコンテンツビジネスで利益が出る道筋をつけたかったからだ」。当時、ソニーの映画事業は、ジョン・ピータースとピーター・グーバーというハリウッドのプロデューサーにいわば「食い物」にされ、赤字が続いていた。

 映画は、ソニーが94年9月中間期に連結で3000億円を超す最終赤字に転落する元凶になり、その後もトップが頻繁に代わるなど、立て直しが急務とされる問題事業だった。

 そうした中でストリンガーに当初与えられた権限は、あってないようなものだった。SCAの社長という肩書だったが、責任を持つ事業はなく、部下もほとんどいなかった。米国の映画部門の暴走に懲りた日本の本社が、米国人に権力を握らせることに不安を抱いていたことが背景にあった。

 不利な状況にもかかわらず、ストリンガーは実に巧みに権限を手中に収めていく。「毎月のように東京に出張し、出井さんに会って話をした」。グループの総帥と密接にコミュニケーションを繰り返すことで、信頼を勝ち得た。

 ソニーに入ってから約1年後の98年5月には、映画部門とエレクトロニクス部門の両方に責任を持つようになった。同年12月にはSCAの会長兼CEOに就任し、音楽事業にも責任を持つようになる。

 「ハワードからは、リーダーシップは運命として与えられるのではなく、自分で手に入れるものだということを教わった」。2000年にソニーに入社した、SCAのCFO兼CSO(最高戦略責任者)であるロバート・ウィゼンサールは、ストリンガーの権限掌握の巧みさをこう表現する。

 責任ある立場になったストリンガーは出井の期待通りにリストラを進め、事業の効率も高めた。1998年に映画部門の社長兼CEOに就任したジョン・キャリーとタッグを組み、映画事業で人員削減を断行する一方、当たり外れのリスクを減らし収益力を高める戦略を実行した。

 例えば「スパイダーマン」や「メン・イン・ブラック」といった人気の映画は、ヒットする確率が高いのでシリーズ化して続編を作る戦略を取った。投資をなるべく早く回収するために、映画公開はなるべく世界同時にし、DVDソフトも早めのタイミングで発売することにした。

 エレクトロニクス事業でもリストラを断行。2004年に東海岸のニュージャージー州にあった同部門の本社をカリフォルニア州に移転した。夫婦共働きの世帯が多い米国では、オフィスが遠くに移転すると会社を辞める人が多く、2000人以上が退社した。

 音楽事業は若干、状況は異なっていた。人気歌手マライア・キャリーの前夫としても知られる大物プロデューサー、トーマス・モトーラが1989年からトップとして長年にわたって君臨。収益も黒字が続いていたので、ストリンガーはなかなか口出しできなかった。しかし2001年頃から音楽の不正ダウンロードや、パソコンで音楽CDを不正にコピーする人も増え、音楽事業の業績は急速に悪化した。

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