『日経ビジネス』は経営者を中心に優れたリーダーの決断や哲学、生き方に迫る多数の記事を掲載してきた。その中から編集部おすすめの記事をセレクトして復刻する。第17回はソニー初の外国人CEOを務めたハワード・ストリンガー氏。トップ就任が決まった直後の2005年に掲載した記事を取り上げる。

(注)記事中の役職、略歴は掲載当時のものです。

2005年3月21日号より

ソニー初の外国人CEO(最高経営責任者)に6月就任する。米国では徹底した合理化とチーム力で、映画、音楽の収益力を高めた。家族とジョークを愛する英国人が、「運命の一瞬」を明かした。

(写真:菅野勝男)
(写真:菅野勝男)
PROFILE

ハワード・ストリンガー[Howard Stringer]氏
1942年英国ウェールズ、カーディフ市生まれ、63歳。65年、オックスフォード大学で現代史の修士号を取得。67年米CBS入社。88年同社放送部門の社長。97年5月ソニー・コーポレーション・オブ・アメリカ(SCA)社長。98年12月SCA会長兼CEO。99年6月ソニー取締役。2003年4月副会長。2005年6月ソニー会長兼グループCEOに就任予定。

 2月27日、米ロサンゼルスで開かれた映画のアカデミー賞授賞式。自社の手がけた「クローサー」に出演するナタリー・ポートマンがオスカーを受賞できるかどうか、気をもんでいたソニー副会長のハワード・ストリンガーは、休憩時間にかかってきた1本の電話に、我が耳を疑った。

 「私は一線を退くことにした。ソニーのCEOを引き受けてもらえないだろうか」。会長の出井伸之が切り出したのが、驚くべき内容だったからだ。

 ストリンガーは自分自身がCEOになる可能性をあまり考えていなかった。むしろ副社長の久多良木健を本命視していた節がある。「久多良木の強みは革新的で反逆者であるところだ。私は出井と久多良木が正しい関係を築けたら、ソニーを変革できると思っている」。昨年12月に会った時、ストリンガーはこう語っていた。

 しかし、その時のインタビューの端々に感じたのは、ストリンガー自身がソニー全体の経営に対して強い情熱を持っていることだった。

 「イノベート・オア・ダイ(改革か死か)」という言葉をストリンガーは好んで口にする。変化の激しい時代は、早く環境に適応できないと生き残れないという意味だ。ストリンガーは、昨年9月のソニーと投資家グループによる米映画スタジオのMGM買収を成功させ、米メディア大手のタイム・ワーナーを出し抜いた。いつもアナリストに「ソニーはどうせ早く動けない」と思われているのを悔しく思っていたが、もうそうではない、と強調した。

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