「利益を大量に生むために雇用を切るなんてことは、ホンダでは考えられない。しかし、それを言うためには、絶対に赤字にしちゃいけない」と福井は力を込める。

 実は米国では米ビッグスリーの危機を受けて、設立から20年以上経った工場で、低燃費車を生産するために設備投資する場合、政府から優先的に融資を受けられる制度が誕生している。ホンダの主力工場はこの対象になるが、福井はそんな話を持ち出そうとしない。

「正社員削減」発言の真意

 昨年末、福井は新聞社などの取材で、「これ以上環境が悪化すれば、正規雇用にも手をつけざるを得ない」と発言した。それが「ホンダ、正社員の削減を検討」と報じられ、物議を醸した。

 福井にもう一度、真意をただしてみると、こう返ってきた。

 「ホンダはグローバル企業。雇用の話をする時は、世界を対象にしている。既に英国の拠点では正社員の希望退職を募っている。正規は対象にならないなんて考えは通用しない」

 「現下の為替の状況は異常。政府の高官も評論家も悪い円高ではないと言っているが、このままでは本当に日本の輸出産業はガタガタになる。我々は赤字になってまで、正社員を高給で養い続ける体力はない。ホンダは既に役員報酬を削減しているが、このままでは役員、管理職から給料は減っていく」

 福井は今でも正社員に手をつけるのは最後の手段であり、ぎりぎりまで雇用を守る決意を持っている。だが、それでもあえて「正社員削減の可能性」を持ち出した背景には、社内外に向けて、現在の危機の深刻さを伝えたいという思いがあったようだ。

 福井は創業者の薫陶を直接受けた、最後の世代に当たる。宗一郎が書いた文章を読み返す時には、本人の顔も浮かんでくる。「怒ると拳骨やピストンが飛んでくると言われるくらい怖い人だった」。

 実際、宗一郎の逆鱗に触れたことがある。2輪のレースを担当していた80年代初頭のことだ。当時、最高顧問だった宗一郎は、レースで負けて結果を出せない福井をサーキットでつかまえて、激しい口調で怒鳴った。

 「2位もビリも同じだ。やり方が良くない。おまえたちはやるべきことをやっていないんじゃないか」

 口調はどんどん激しさを増し、「ああしろ」「こうしろ」と言い出す。その時は黙って聞いていた福井だが、改めて振り返っても、どうしても納得がいかない。

 福井は退社する覚悟で、最高顧問室に乗り込んだ。

 「俺たちはみんな一生懸命やっている。最高顧問がおっしゃるようなことは全部やっている。そんなに俺たちが信用できないのか。いいかげんにしてくれ」。沸騰するような剣幕でまくし立てる福井の姿に、宗一郎は驚いた。「俺が怒ったのは、勝って目標を達成してみんなに喜んでほしいからだ」。

 その後、宗一郎は、福井の言葉に耳を傾け、自分自身の体験とレースに対する思いを語って聞かせたという。

次ページ 本田宗一郎が見せた優しさ