ところが、ダイソンは全く妥協する気配がない。そして何度も決裂寸前となった。例えば、日本市場では、掃除機の色はグレーと決まっていた。エイペックスが色の変更を要請すると、ダイソンはクビを横に振った。
「試作機通りピンクでなければライセンスを渡せない」
エイペックスの代理人として、ダイソンに日本進出を説得したレイチェル・カーターは、「ジェームズはこれまで交渉した相手の中で、最も気難しい性格の持ち主だった」と振り返る。交渉当初はじっと感情を抑えていても、突然、怒りを爆発させて周囲を驚かせたこともあった。
その一方で、ダイソンが「価値がある」と判断した改良のアイデアについては、職人気質むき出しの対応を見せた。その1つが、掃除機の吸引口にある回転ブラシ。試作機には装備されていなかったが、梶原がそのことを指摘すると、その足で東急ハンズに向かい材料を買い込んで、翌日には回転ブラシ付きの試作機を作り上げた。
エンジニアの理想郷を作る
ダイソンにとって、モノ作りにこだわる日本に何か感じるものがあったに違いない。その後も日本市場を相手に改良を繰り返し、92年、ついにダイソン社を設立して、自ら製造販売を手がけるようになる。サイクロン技術に着目してから、自社工場を構えるまで、実に15年かかり、その間に5126種もの試作機を作り続けた。
その執念が本国をも揺るがすことになる。発売18カ月後、DC01は英国でシェアトップの掃除機となった。保守的な英国市場に、ついに革新的な製品でその存在を認めさせた。それは、かつての劣等感を覆した瞬間でもあった。自らの原理原則を貫き、「見下されていたモノ作りの現場」で「他人と違うこと」を追求し続けた結果、世界でその価値を認められる製品を生み出した。
2007年、そのダイソンは、英エリザベス女王から伝統的権威の象徴「サー」の称号を授かった。モノ作りの功績を、“公式”に英国社会から認められたわけだ。
ロンドンから西へ約150km。波打つ屋根の下に、オープンスペースの美しい空間が広がる本社兼開発拠点は、「モノ作りとは汚い工場でやる仕事」という偏見に満ちた価値観へのアンチテーゼに見える。そこで、ダイソンは会長を退いた今も、製品開発に絶対的な権限を持つ。非上場を貫き、唯一、彼と彼の家族だけが会社を所有するのは、誰にも邪魔されずに経営するためだ。
1人の天才エンジニアが組織の頂点に君臨するダイソン社は、技術者の理想郷に違いない。後継機の開発でも、改良ではなくゼロから作っていく。それは、世に出回っている製品と圧倒的な差異を持ったモノしか作らないという、ダイソンの信念を象徴する。社員がその要望に応えるのは容易なことではない。だが、入社8年目のサム・バーナードは「ジェームズが納得せず、日の目を見なかった製品は山のようにある」と笑いながら話し、入社5年目のジョー・ローソンも「どんなアイデアでも挑戦してみる。こんなに失敗を恐れない環境は、ほかにはない」と目を輝かせる。
そんな技術集団を率いるダイソンは、今年8月、母校である王立芸術大学院に学長として戻る。それは彼にとって、「エンジニアの地位復権」という自らの目標を、産業界だけではなく、教育を通じて実現する場となる。
ダイソンに学長就任を依頼した副学長のポール・トンプソンは、その理由をこう話す。
「ジェームズは学生たちにとって、イノベーションで事業を成功させた現代のヒーローなんだ」。そして王立芸術大学院は、ダイソンから500万ポンド(約6億5000万円)の寄付を受け、彼の名を冠した校舎を建設し、そこで学生が自らの発明を事業化できるように支援する。
今や、英国のモノ作りにおいて、ダイソンに並ぶ権威はいない。それでも、既存の価値観を打ち破ろうとする、反体制的な思いを持ち続けているのだろうか。彼にそう尋ねると、穏やかな表情を変えずにこう切り返してきた。
「私が反体制的? それほどでもないでしょう」
確かに彼には、もはや反体制を装う必要などない。権威を使い、体制の内側から周囲を動かす力がある。モノ作り再興を実現する「社会変革」の野望は、今もダイソンの体内で渦巻いている。
=敬称略
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