『日経ビジネス』は経営者を中心に優れたリーダーの決断や哲学、生き方に迫る多数の記事を掲載してきた。その中から編集部おすすめの記事をセレクトして復刻する。第6回は大胆な戦略で成長を実現してきたニトリ創業者の似鳥昭雄氏に迫った2009年の記事を取り上げる。

(注)記事中の役職、略歴は掲載当時のものです。

2009年11月30日号より

22期連続増収増益を達成した家具専門店ニトリを1代で築き上げた。快進撃の裏にあるのは大胆な経営戦略。その一方で、自らを「怖がり」と言う細心さ。1972年に豊かな米国に追いつくために立てた「60年計画」は、いまだ道半ばだ。

店内にて。週末になれば多くのお客であふれかえる(写真:村田 和聡)
店内にて。週末になれば多くのお客であふれかえる(写真:村田 和聡)
似鳥 昭雄(にとり・あきお)氏
1944年サハリン生まれ。66年北海学園大学を卒業し、67年ニトリの前身である似鳥家具店を創業。86年社名をニトリに変更。89年札幌証券取引所に上場、93年本州に初出店。2002年東京証券取引所に上場。2007年初の海外店舗として台湾高雄に出店。趣味はカラオケ、美術館巡り。出身地、北海道への思いは強く、北海道夕張市の支援をしている。

 22期連続の増収増益。長引く景気低迷の中、家具専門店を展開するニトリの好調ぶりはひときわ輝いて見える。この好業績を支えているのは段階的に実施している商品の値下げだ。

 リーマンショックが起きる4カ月前の2008年5月、ニトリは最初の値下げを決断した。その後も約3カ月おきに価格を下げ続けている。他社の追随を許さない値下げ攻勢。これが奏功し、消費不況をものともせずに客足は伸びている。小売業の強さを表す指標の1つに「既存店売上高」の前年同月比がある。この指標で、ニトリは今も前年を上回り続けている。

 「リーマンショックの後に値下げを決断してもここまでお客様には響かなかっただろう」。ニトリの創業社長、似鳥昭雄はこう振り返る。似鳥の時宜を得た判断を、多くの人は「相場師としての勘が働いた」と評価する。

 しかし、実態は違う。

 似鳥が値下げを決めたのは、勘でも思いつきでもない。そこには、長年足で稼いで獲得した情報と周到な準備があった。

 実は似鳥は毎年のように、社員とともに米国に視察旅行に出かけている。米ウォルマート・ストアーズといった巨大流通業を見学して回るのはもちろんのこと、必ず見るのが住宅販売のチラシ。住宅の価格に注意を払い続ければ、おのずとその国の景気動向が分かるからだ。

 その似鳥が米国経済の異変に気づいたのは2005年のことだった。住宅価格が上昇していた。このまま上がり続ければ、バブルと言われて久しい米住宅価格は暴落する。似鳥はこう判断した。そして、今回の不況に対する準備はこの時から始めた。

 コストを削減し、いつか来る日のための軍資金を貯める。その額は2006年からの1年間で約42億円。そして2007年、住宅価格は15年前の2倍へ。「いよいよ来た」。こう判断した似鳥は2008年5月、満を持して不況打開の一打を放った。軍資金を値下げ原資として使うことにした。

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