『日経ビジネス』は経済誌としての50年以上にわたる歴史の中で数多くの名経営者や元宰相らにインタビューしてきた。今では鬼籍に入って話を聞くことのできない方や現役を退いた方を中心に、時代を体現した“寵児”たちのインタビュー記事を再掲する。
(注)記事中の役職、略歴は掲載当時のものです。
1981年7月27日号より
この夏、田中角栄元首相の動きが一段と目立ち始めた。東京都議選の表舞台での応援から行政改革推進の根回し工作まで……。「いま田中さんは何を考えているのか」。行革、防衛、鈴木政権の行方など主に当面の重要政策課題にしぼって意見を聞いた。「行革は10年戦争。公務員は半減できる」と言い切る田中さん。“目白政府”は健在とみた。
(聞き手は本誌編集長、杉田 亮毅)
鈴木内閣の評価
この1年は挙党体制の地ならし。これからがいよいよ行動の時ですよ

問 鈴木政権も1年を超えて“和”の政治は曲がり角じゃないかと言われています。この1年をみて、順調なすべり出しから後半もたついているという感じもするんですが、その点いかがですか。
答 私は正常な1周年だと思いますよ。大体、明治からずっと振り返ってみて内閣の平均年齢は2年ないんです。1年何カ月だ。戦後は比較的安定して2年から2年半ですね。佐藤さんは非常に長かったけれども、個々をみれば鳩山2年、私が2年半、三木、福田2年、大平1年半ぐらいで、戦後の政治はみんな2年ぐらいだな。
そのうちの半分を鈴木内閣はもうやってきたんだから、堂々たる政権と言わざるをえない。ただ、だからといって鈴木内閣は2年で終わると決めつけているわけじゃないですよ(笑い)。
佐藤内閣のあとの田中、三木、福田、大平の各政権。これはちょっとライバルが多過ぎたというか、立候補者が多過ぎたというか、その意味で相当厳しい潮流の中でそれぞれの政権が誕生し、交代していった。それは7年8カ月という佐藤さんのあとだから当たり前のことですよ。佐藤内閣の7年8カ月とわれわれの2年を足すと約9年。平均値は4年半だ。何も考えないでサラッと判断すると、鈴木内閣はわれわれの倍くらいもつ運命の中に誕生した――こうみていいと思うんだ。
何かない以上はという条件付きだよ。そういう意味でいえば、鈴木内閣の1年は挙党体制への地ならしの時期ですよ。激流に棹さした大平内閣のあとだから(地ならしに)1年ぐらいはかかりますよ。だから、鈴木内閣はここからが本格的スタートだとみるべきだね。
問 “和”の政治も結構だが、もう少し指導力がほしいという声もある。
答 大体日本人は“和”が好きなんだよ。聖徳太子の憲法も「和をもって貴しとなす」だ。“和”は基本なんです。だけど「和して同ぜず」もあるし、「和してなごまず」もあるしな……。基本的にはお釈迦さんだけど、お釈迦さんの言うことだけじゃ生きていけませんよ(笑い)。多数決も必要だし……。
いままで鈴木内閣は“和”だけだけれども、いよいよ行動を開始したじゃないですか。土光臨調の答申は100パーセント尊重します。基本米価は上げたくない──いままでのお釈迦さんから比べたら相当の変わりようだ(笑い)。
むろん、政治の基本は“和”でなければいかん。だから時間もかかる。ただ、政治では時がくれば“召集令状”を出さなければならんからね。その程度の決断は必要なんだよ。政治というのは待ったなしのところがある。時至れば、死刑の執行も行う。これが政治の避けがたきところだ。鈴木内閣はこれからちゃんとやりますよ。
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