『日経ビジネス』は経済誌としての50年以上にわたる歴史の中で数多くの名経営者や元宰相らにインタビューしてきた。今では鬼籍に入って話を聞くことのできない方や現役を退いた方を中心に、時代を体現した“寵児”たちのインタビュー記事を再掲する。

(注)記事中の役職、略歴は掲載当時のものです。

1973年9月3日号より

街のモーター屋から、世界の“ホンダ・モーター”へ。
松下電産、ソニーと並んで、戦後の高度成長期を代表する本田技研工業の野人経営は、常に多くの話題を呼んできた。
本田技研の経営の神髄は何であったか。今秋の退陣を控えた社長本田宗一郎氏に、トップ明け渡しの“野人哲学”と経営の心得を聞いてみた。

(聞き手は本誌編集長、太田 哲夫)

   *   *   *   

 25年間、社長をやってこられて、お辞めになる。御心境はいかがですか。

 私の言行録をごらんになればわかるけど、20年ぐらい前から「ズバリ、一番良い時期をみて辞める。辞める時には家のものには渡しませんよ」と言ってきている。少なくとも、15年間は言ってきてます。

 そういうことも言わずに、本田家の商店気分でやったら、うちの若い者は働かんだろうネ。人からみて不思議だ、どうしてあんなことをやるんだろうなと思うことをやってきているから、皆がついてきたと思うんです。途中からの思いつきじゃなく、初めからそういうふうに決めて、副社長(編集部注:藤沢武夫氏)とやってきた。

 だから、辞める時には潔く辞めるべきですね。私のもんじゃないんだから会社は。私が頑張っても死んでからじゃ、しようがネエ。そんなみっともないことはやれぬですよ。

 もう一つ、私が早く辞めなきゃと思ったのは、自分の判断力がほとんどなくなってからだと遅い。自分というものは誰でもわからないもんだけど、人に惜しまれるうちに退く──惜しまれるということは幾分でも反省力もあり、批判力もある証左だとも思うのです。

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