リーダーが情に流されると、改革が止まる

 ある企業で、北米の拠点を撤収することになったとしよう。これまでは拡大路線で世界の各地域に進出してきたが、北米市場は飽和状態で、これ以上の成長は見込めない。
 そこで海外拠点を整理し、持続的な成長が可能な地域に投資を集中させることにした。CXのプロセスでもよくあるケースだ。

 ところが北米のオフィスや工場で働いている人たちは、撤退となれば自分たちの存在意義がなくなってしまうので、必死の徹底抗戦に出る。拠点のマネジャーはリカバリープランをあれこれ提案し、本社リーダーに「こうすれば3年後には今以上の成長を実現できます」と切々と訴える。
 そのとき弱いリーダーがどうするかというと、相手に押し切られて折衷案を受け入れてしまうのである。

 ある機械メーカーであった事例で、全社売上の5%程度の規模の事業から撤退し、他社事業への譲渡を検討するようトップから指示が下りた。
 事業部門長は表向きには譲渡プランを作るそぶりを見せながら、バックアッププランとして規模を縮小しての生き残りプランを策定、結局「これなら生き残れるよね」というプランを固め、トップも部門長の涙ながらの訴えに屈し、譲渡の話は流れてしまった。
 そこまで言うなら、完全撤退ではなく、ひとまず規模を縮小して様子を見ようという判断だが、これこそ中途半端な迫害であり、後々になって絶対に悪いことが起こる。

 現場が作るリカバリープランは、ほぼ例外なく希望的観測が織り込まれた楽観プランであり、世の中その通りに物事が進むことがないことは、多くの事例が証明している(それこそ歴史に学ぶべき)。
 結局は、改革は道半ばで頓挫することになる。

ニッコロ・マキャベリがおよそ500年前に著した『君主論』は、多くのリーダーに読み継がれている(写真:Science Source/アフロ)
ニッコロ・マキャベリがおよそ500年前に著した『君主論』は、多くのリーダーに読み継がれている(写真:Science Source/アフロ)

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