「営業利益率55.4%」に「平均年収2183万円」──。驚異の高収益を誇り、時価総額では国内トップ5の常連であるキーエンス。日経ビジネスは、キーエンス社内外の関係者への徹底取材から同社を支える“仕組み”に迫った書籍『キーエンス解剖 最強企業のメカニズム』を刊行した。本書の中から、今のキーエンスにつながる歴史をひもといたパートを紹介していこう。

大阪市にあるキーエンスの本社(写真:今 紀之)
大阪市にあるキーエンスの本社(写真:今 紀之)

 1983年秋、公園のベンチに座って転職情報誌をパラパラとめくっていた当時24歳の大川和義氏の手が止まった。「飛び込み営業なし」「接待なし」と書かれた募集ページに目が留まったのだ。

 募集していた会社の名前はリード電機。キーエンスの前身となる会社だ。

 「そんな会社あるんや」。大川青年は冊子を手に、リード電機のページに書かれていた会社説明会に足を運んだ。これが、後にキーエンスのバーコードリーダーなどの事業部の責任者や人事部のマネジャーなどを歴任し、2019年に退職した大川氏の、キーエンスとの出合いだった。

「君、向いてないよ」

 大川青年は最初に入った会社でオフィスコンピューター、いわゆる「オフコン」の営業をしていた。オフコンは1960年代から開発された、企業の事務処理を行うためのコンピューター。パソコンや汎用サーバーへの移行が進む90年代まで一世を風靡したジャンルだ。当時は日本電気(NEC)や三菱電機、東芝、富士通などが激しい販売競争を繰り広げる、オフコン戦国時代だった。

 大川青年が転職情報誌を見ていたのには理由がある。数日前、上司から突然「君、向いてないよ」と言われたのだ。新卒入社1年目に営業部門の「新人賞」を獲得したほどだから、仕事はできたほうだ。だが、当時当たり前だった営業の典型的なスタイルになじめなかった。「飛び込み営業」と「接待」だ。

 買ってくれる可能性がある会社ならどこへでも飛び込み、ひたすら汗をかいて靴底を減らす日々。ちょっとでも興味を持ってもらえそうなら、自分が行きたくなくても接待に持ち込んだ。ただ、そこに違和感を覚えていることを上司に見透かされていた。

 「お客さんに『靴先をなめてみい、そしたらコンピューター買うたるわぁ』て言われても、君、なめられへんやろ」

 上司にこう言われた大川青年は、悔しさをかみしめながら「絶対になめません」と言い返した。「営業そのものが向いていないのかもしれない」。そう考えて手にした転職情報誌で見つけたのが、リード電機の募集広告だった。

 そうして足を運んだ会社説明会。リード電機の人事担当者の言葉に、大川青年は耳を疑った。

 「リード電機は、お客さんと営業マンが対等の立場です。でもお客さんから見て営業マンが対等だと思ってもらえるように、お客さんがビックリするほどの課題解決型の提案営業をします。これがリード電機の営業です」

 それまで勤めていた会社では「お客様は神様」だった。そして、大手企業にも中小企業にもひたすら飛び込み営業を繰り返していた。それとは全く違うリード電機の説明に、自分の常識が覆される思いをした。

 「今で言う『コンサルティング営業』のことだが、それを40 年も前に言っていた。私にとっては目からうろこでした」。大川氏は当時のことをこう振り返る。

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