「人からどう見られるか」は、意外に重たい
養老:これは20年ほど前から言っているのですが、「参勤交代」をしたらどうかと。都市で生活している人たちが、1年のなかの一時期、田舎暮らしをしたらどうかという提案です。やむを得ずでも一定の時間、自然と付き合うような形の生き方にしたほうがいいんじゃないの、と。田舎では本来、何でも自分でやらなきゃならない。不便なんですね。この不便というのが非常に大事なんです。
不便さというのが、今の子どもの生きづらさを解消する一助になるということでしょうか?
養老:不便なら身体を使いますから。すると、考え方が変わりますよ、ひとりでにね。
身体を使うことで、子どもの考え方が変わる?
養老:大人も変わるでしょうね。体を使って自然に接する時間をつくると、必ずしも人に合わせる必要がなくなるからです。人の顔色を見る必要がないんですね、田舎では。
身体を使って自然に接すると、人の顔色を見る必要がない……。
養老:作業しているとね。
作業ですか。田舎で作業する……。例えば、芋掘り体験をしたときのことなど思い出してみると、確かに芋と土のことしか頭になくて、誰にどう見られているかなんて、あまり気にしていなかった気がします。
養老:そう、それが大事。人にどう見られているかっていうのは、意外に重たいんですね。でも、五感をフルに働かせると、意識のほうが遠慮しますから。そうやって感覚を多少、優位に持っていく。
具体的に、何かを見るとか聞くとか触るとか。
養老:そうですね。僕の子どものころを思い出すと、いつも川で魚を捕っていましたけど、水に入ると冷たいし、風が吹いてくるし、カワセミは飛んでいるし。ああ、きれいだなって。自然のなかにいると、さまざまな感覚の働きに気を取られて、考えることが減っていきますね。「なぜ死んではいけないのか」なんて、そんなことは考えない。
それが「意識のほうが遠慮する」ということ。
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