生きることの意味は、自分のなかにはない

養老:今の若い人はボランティアが好きでしょう。「世のため、人のため」だと喜んで動くんですよ。

NPO(非営利団体)に就職したり、ソーシャルベンチャーを立ち上げたりした若い人の話もよく聞きます。もともと子どもはみんな、「人の役に立ちたい」という気持ちを持っているということですね。だからきっと、大人が「世のため、人のため」という部分を大切にすると、子どもも生きやすい社会になる。

養老:戦後、僕がずっと生きてきた時代は、それをばかにしてきましたから。社会貢献する仕事というものの価値を、全部下げてきましたから。学校の先生が偉くなくなったでしょう。

確かにそうですね。

養老:お医者さんも偉くなくなった。政治家が最初に落っこちましたね。

政治家ですか。そういわれてみれば、政治家というのは、社会のために働く人でしたね。

養老:僕は、「汚れ仕事をやってくれてありがとうございます」って、ときどきいうんですよ。

そういえば政治家になりたいという子どもは見かけませんね。子どもの小学校で卒業記念のフォトブックを作ったのですが、「将来の夢」の欄に「先生」や「お医者さん」はあっても、「政治家」はありませんでした。人の役に立ちたいという子どもたちにとって、政治家は夢の職業ではなくなっているんですね。

養老:政治家は、国民のために働いているんですよ。今はそんなこと思ってないでしょうけどね、政治家本人たちも。

確かに私たちの親の世代、私たちの世代が生きてきたのは、社会への貢献より、個人としての成功を第一にする社会だった気がします。

養老:子どもたちは今、「自分の生きる意味は自分のなかにある」と、暗黙のうちに思わされているんです。そう教育されているんですね。それが常識だろうと、親が多分そう思っているわけです。

そう思っていました。正直にいえば、それ以外の考え方があると思っていませんでした。

養老:親がそうであれば、自然に子どもの考え方もそうなってしまう。でも、極めて根拠がないんですよ。「自分の生きる意味は自分のなかにある」という考え方は。

 それはヴィクトール・E・フランクルというウィーンの精神科の医者が、本に書いています。人生の意義は自分のなかにはないと。ナチスドイツの強制収容所から生きて出てきたユダヤ人です。

『夜と霧』ですね。

養老:「わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ(*)」。人生の意義は、自分のなかにはなく、むしろ自分の外にあるということです(*)。

*『夜と霧』(ヴィクトール・E・フランクル/みすず書房):「生きる意味を問う」より

先生も書かれていましたね。

 「自己実現」などといいますが、自分が何かを実現する場は外部にしか存在しない。より噛み砕いていえば、人生の意味は自分だけで完結するものではなく、常に周囲の人、社会との関係から生まれる、ということです。とすれば、日常生活において、意味を見出せる場は、まさに共同体でしかない。

『バカの壁』(新潮新書/2003年)

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