自分のために生きるから、承認欲求が満たされない

養老:農作業の手伝いなんか、昔は普通だったんですけどね。そんなふうに社会がきめ細かく子どもの面倒を見ることをやめちゃったんですね。ブータンで、子どもがお父さんの手伝いをしていたら、「国連の役人が来て、児童虐待だといわれた」って、親が怒っていましたよ。国連なんかに勤める人は、要するにハイソサエティーの出身だからね。そうすると、「子どもを働かせるのは児童虐待」と頭で考える。そうじゃなくて、必要な場合もあるわけです。

 だからYouTuberになりたいっていう子が増えるんですよ。

「だから」といいますと?

養老:YouTuberになりたいというのは要するに、「いいね」がたくさん欲しいということでしょ。

満たされない承認欲求を満たしたくて。

養老:人の意見を気にするようになっているんです。小さいときから。

YouTubeで「いいね」をもらわなくても、昔は子どもなりに働いて、親の役に立てれば、承認欲求を満たすことができた。それが生きがいにもつながっていたということですね。

養老:そういうものを全部外しちゃった子どもって何なんですかね。親孝行するにも、大人になってから、お金を稼いでするぐらいしかないでしょう。そんな先のこと、子どもが今、幸せになる動機にはなりませんよ。

 だから社会をね、つくり直さなきゃいけない。

武士の時代のようにお家のためでも、戦争中のようにお国のためでもない社会。けれど、今の日本のように自分のために生きるのでもない社会。

 かつての日本には家制度があって、代々家を存続させることに重きをおいていた。それには子供が必要です。それが今のように現世の社会のみを考えれば、大人社会から子供は要らなくなってしまう。

『超バカの壁』(新潮新書/2006年)

養老:「世のため、人のため」という感覚でしょうね。家の手伝いというのは、その一歩になります。

今の日本がこれだけ子どもが自殺してしまうような社会になったということは、個人、自分のためという生き方が行き詰まっているということですよね。

養老:そうです。自分のためでは駄目なんですよ。

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