自分の命は、自分のものではない
「自己がある」という考えが「命は自分のもの」という考え方につながる。確かに「自己」がなければ「自分のもの」と思いようがないですね。
養老:みなさん、「命は自分のものだから、自分の好きなようにしていいんだ」と思っていますよね。自分の身体や命が「自分のもの」であるという暗黙の了解ができています。それが常識になってしまっている。でも、そんなことは、どこにも決められていないんです。
では、もし子どもに、 「命は誰のものなのですか?」と聞かれたら、どう答えればいいのでしょうか?
養老:世の中には誰かのものであるものと、誰のものか分からないものがあるんです。例えば、月は誰のものですか? 命が誰のものであるかを問うのは、それと同じくらい、おかしな質問です。今の社会の常識を優先してしまうから、質問自体が変だということに気がつかない。
中学生の娘に、子どもの自殺をテーマに養老先生に取材をすると話したら、「なんで自殺しちゃいけないのか、養老先生に聞いてみたい」と言われました。こういう質問自体が、おかしいということなんですか?
養老:おかしいでしょう。それは「なぜ人を殺してはいけないの?」というのと、同じくらいおかしな質問です。一時期、この問いが話題になりましたよね。
じゃあ、命は誰のものでもないのですか?
養老:そうです。
ええと、自分の命は自分のものではないんですか? 私の命は、私のものではない?
養老:はい。命はもらったものです。別に自分で稼いで、生まれてきたわけじゃないでしょう。
なんというか、そういう答えを予想していなかったので……。「誰のものでもない」という答えは、正直、まったく考えていませんでした。
養老:あなたが勝手にいじっていいものじゃないよ、ということでしょうね。
自分が今生きているということ自体を、いじる権利が自分にはない……。
養老:そうですね。仕方がないから生きてるんですよ、僕なんか。
これも、お互いさま(「なぜコロナ禍で子どもたちは死にたがるのか?」参照)に近いですね。みなさん、自分一人の力で独立して生きているわけではないでしょう。何かそういう当たり前のことを議論しなくてはならなくなったのが、変なんですよ。本来、そういうふうに言葉で議論するものではないんですよ。
でも、「命は誰のものか?」という問いには「誰かのもの」という答えがあるものだと、思い込んでいました。
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