私たちは、どう生きるべきなのか?

 自らの死の必然性に敢然と立ち向かう人々の文明は、その実現に向けて努力する価値がある。そればかりか、死の必然性の自覚は、起こりうるあらゆる状況のうちで最良のものを提供してくれる、と私たちは大胆に主張することさえできるだろう。

 人生には終わりがあると知れば、私たちの時間に制限が課されるので、その時間が価値あるものとなる。死は必然であるという事実は、私たちの存在に緊急性を帯びさせ、私たちがそれに形と意味を与えることを可能にしてくれる。

 できる間は毎朝起き出して世の中とかかわるべき理由を私たちに与えてくれる。この世界を最高の世界にすべき理由を与えてくれる。それ以外の世界などないことがわかっているからだ。それでいて、制限を課すもの、すなわち死は、私たちが苦しんだり、他のいかなる形で経験したりできるものでは断じてない。私たちは本質的に生き物、すなわち生きている物なのだから、文字どおり死んでいる状態にはなることさえできない。私たちが知りうるのは生のみであり、その生には限りがあるという事実を受け容れれば、それを大切にしなければならないことも理解できる。

 私たちの生は、始まりと終わりによって範囲を定められてはいるものの、自分自身を超えてはるか遠くに手を伸ばし、無数の形で他の人々や場所に触れることができる、数知れぬ瞬間から成り立っている。

 その意味では、私たちの生は本に似ている。表紙と裏表紙に挟まれた世界で自己完結していながら、遠くの風景や異国の人物やはるか昔に過ぎ去った時代を網羅できる。その本の登場人物たちは限界を知らない。彼らは私たちのように、自らの生を構成している一瞬一瞬を知ることができるだけだ。たとえ本が閉じられたときでさえも。したがって、彼らは最後のページに行き着くことには煩(わずら)わされない。

 だから私たちもそうあるべきなのだ。

(写真:CHAINFOTO24/shutterstock.com)
(写真:CHAINFOTO24/shutterstock.com)

(訳:柴田裕之)

なぜ人類は、驚異的なスピードで発展を遂げてきたのか。
科学はやがて、死を克服できるのか。
文化・芸術から医学や遺伝子工学まで最新の知見を編み上げて、人類史の壮大な謎に迫る。

●人類の進歩・発展はすべて「4つの不死探求の道」の途上にある
●秦の始皇帝が目指した「永遠の命」
●富士山麓に住まうという仙人が見せた夢
●2度もノーベル賞を受賞した学者を虜(とりこ)にした「不死の栄養素」
●フランケンシュタインの物語が示すこと
●キリスト教はなぜ、加速度的に広まっていったのか
●ダライ・ラマ14世と輪廻(りんね)転生
●科学の力で「不老不死」は実現可能なのか
●それでも現状で、死は絶対に避けられない。ならばどう生きるべきなのか

たった一度きりの人生、より豊かに生きるために――
今こそ読みたい「知恵」の物語

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