事業スタート以来、本社を長崎県佐世保市に置くジャパネットたかた。創業者の髙田明氏は「働き場所を提供することで、地元に貢献できる」と強調する。

ジャパネット創業者の髙田明氏(写真:菅 敏一)
ジャパネット創業者の髙田明氏(写真:菅 敏一)

 佐賀県と長崎県を結ぶ西九州新幹線が開業して数カ月になります。

 私は長崎県佐世保市からビジネスをスタートし、今も佐世保に住んでいます。新幹線は佐世保を通りませんが、歴史的な開業ですので、試乗イベントで乗らせていただきました。

 乗車時間は最短23分ほどと短く、乗車してあっという間に長崎駅から武雄温泉駅に到着しました。トンネルの区間が6割ほどを占めるためか、景色が見える時間は思ったほど多くない印象でしたが、車両の内装などには工夫が多く、どのような立場の人にもやさしいデザインや設計が心に残りました。

 今回開業した新幹線の計画は、実現するまでにずいぶん時間がかかりました。

 父は長崎県平戸市でカメラ店を経営しており、私はその店の支店を出すために佐世保市へやってきました。当時の私は30歳でした。支店を出したのは、陶器で有名な佐賀県の有田町と接する佐世保市の三川内というところでした。数年後にここでジャパネットたかたを創業することになります。店の周囲はその頃、まだ田んぼばかりでしたが、有田町の陶器市のときなどには店の前の国道が混雑し、私の店にトイレを借りにくる人がたくさんいました。

 当時、長崎の新幹線は私が働くこの三川内の支店の近くを通るという計画がありました。このため、「いいところに店を出したな」と思った記憶があります。

 佐世保の造船所はかつて本当に多くの人が働いていましたが、やがて造船不況に突入。そんな中で原子力船「むつ」の修理を佐世保市内の造船所で行うことが政治決着され、「それならば、佐世保に新幹線を持ってきましょう」ということだったと思います。

 このような背景があり、新幹線のルートに入っていた佐世保ですが、長い時間が経過する中で政治の状況が変わったのでしょう。また財政的な厳しさもあり、結局、新幹線は佐世保を通らないことになりました。

 新幹線の路線計画は変わりましたが、店を他の場所に移そうと思ったことは一度もありません。そもそもカメラ店は、地元でのビジネスですし、通信販売に進出してからも、情報網の発達によってどこでもできるビジネスでしたので、地元でできることは地元でやったほうがいいと思ってきました。

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