会話は「キャッチボール」。相手はちゃんと「聞ける状態」になっているか?

大愚和尚:コミュニケーションの基本について皆さんにお話しするときに、大事な原則があるんです。それは概念ではなく、体感をしていただくということです。

 例えば、研修会や勉強会でコミュニケーション力や対話力について話をするときには、実際にキャッチボールをするところから入ります。

藤吉:「会話はキャッチボール」であることを、体感してもらうためですね。

大愚和尚:本当に何かものを投げようと思ったら、相手がそれを受け取る準備がないといけません。相手が受け取らなかったら、キャッチボールは成立しませんからね。でも、私たちは会話のキャッチボールにおいて、「言ったでしょ」と相手を責める。相手は全く受け取っていなかったり、受け取る準備が整っていなかったりしてもです。もしくは投げる側が、受け取れないところに投げたり、すごいスピードで投げたりしている場合もあります。

 特に、近しい人、親子、夫婦、同僚、友達だと、「分かってくれるでしょ」といって、ひどい球を投げてしまいます。そして受け取ってもらえなかったことに対して、怒ってしまうんです。

藤吉:「あの人は分かってくれない」というパターンですね。

大愚和尚:やっているのはそういう滑稽なことなのだと、物理的なキャッチボールをすると分かるようになる。言葉のキャッチボールだと、自分と相手には違いがあるのが当然だということを忘れてしまうんですね。それはボールと違って、言葉に対してしっかりと意識が向いていないからなんです。これが英語などの普段使わない言葉であれば、自分の言葉を吟味して話せるんですけれど、自然に使える日本語だと、使いこなせているという錯覚を持つんですよね。

藤吉:「慣れている」ことと、「きちんと使えている」ことは、別の話なんですよね。僕も日本語には慣れていますけど、じゃあ、僕たちの本に書かれてあるルールを守って言葉を使えているかといえば、そうじゃないことがたくさんあります。だからこそ、話し方の本、書き方の本が必要なのでしょうね。

大愚和尚:学校に国語という科目はありますけれど、「こういうことを伝えるために、こんな『型』がある」ということは、話し方においても、書き方においても、教えてもらいませんからね。

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