「自分の言うことを相手は正しく理解できるはずだ」は思い込み
大愚和尚:お釈迦様は、お弟子さんが「言葉巧み」であることを、ものすごく奨励されたんです。真理を人に伝えたいのであれば、伝わらない話し方ではダメだと。話し方の順番までこだわられたのには、「伝えたい」という強い思いがあったからです(対談前編「説法は最強のセールスレター。お釈迦様の伝え方の『型』とは」)。
仏教というのは、お釈迦様が一人ひとりに合わせて、それぞれの苦しみを救ってこられたというエピソードを、側近の弟子が人生をかけて聞き取り、記したものなんです。「いつ、どこで、誰に対して、お釈迦様はこんなことを語られた」というエピソードが、お経なんですよ。
そのエピソード集であるお経を、後の人が調べていく中で、その中に共通した考え方を見いだして体系立てていったのが「仏教学」です。お釈迦様という方は、何かを書き記したり、残したりしたわけではないんですね。会う人会う人、皆さん一人ひとりに対して、その苦しみに合わせてお話を続けた。コミュニケーションの人だったんです。
藤吉:配信されている住職の「一問一答」こそ、まさに「対機説法」だと思うんです。寄せられた悩みに答えるために、すごく言葉を選ばれて、その方の気持ちに届くように、理解できるように、お応えになる。それが30分になるときも、40分になるときもありますよね。
大愚和尚:始めたときには、IT 関係の若い社長さんなどが連絡をくださって「YouTubeは最初の1分、2分で離脱してしまうので、3分でまとめたほうがいい」とアドバイスされたんです。でも、「明日死にたい」という人に、「あなたの悩みのポイントを、3つにまとめます」なんて、まずありえないんですよ。だから、そのままのスタイルで続けたんです。
藤吉:専門家が心配した長時間のコンテンツにもかかわらず、今では登録者数42万人です(2021年12月現在)。
大愚和尚:それまで対面で受けていた相談と同じようなイメージを持って、YouTubeでもお話ししています。身近な話から始めて心を開いていただいてから、本題に入る。本当に必要としている方に届けばいいと思って始めたチャンネルですし、私の話が皆さんに評価されないものであれば、廃れればいいと考えていました。ですから家族にも言わずに始めたんです。
そしてこれは一つ、問いかけでもあったのです。仏教やお坊さんの話が、人々に必要とされているのかどうか、という。
藤吉:それが受け入れられたわけですね。

本というメディアだと、どうしても一項目に落とせる要素は限られてしまいます。そういう意味では、本では若干「対機説法」よりも、「型」を意識しているかもしれません。
大愚和尚:それはお経も同じです。私たちは直接お釈迦様にお会いすることはできないわけです。ですから私たちにとって、お釈迦様の教えというのは、全て「経典」なんですね。つまり、文字として書かれたものです。お釈迦様は書を残していません。ただそばにお弟子さんがいて、そのエピソードを私たちが分かるような形で残してくれた。お弟子さんたちの巧みな文章術、つまり「型」がなければ、仏教の教えは2600年の時を超え、民族を超え、国境を超えて、日本にまで伝わってこなかったかもしれません。
「般若心経(はんにゃしんぎょう)*2」にしてもそうですが、この文章の「型」というのが、ものすごく美しい。文字の配列、言葉の音、一つの作品なんですね。語り継がれているのには、書き記したお弟子さんの文章術の巧みさがあったわけです。
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