昇進して課長になったものの不安な「わたし」が、アドラー心理学を研究する哲学者の「先生」に、リーダーとしての悩みを打ち明け、戸惑いながらも、成長していく――。

 本連載では、ベストセラー『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)の著者である岸見一郎氏の新刊『叱らない、ほめない、命じない。― あたらしいリーダー論』から、エッセンスを紹介していきます。

 「先生」であるところの岸見氏が説く「民主的なリーダー論」は、たった1つのシンプルな原則に基づきます。

◎ リーダーと部下(メンバー)は対等である。

 この原則から導かれる論理的な帰結として、リーダーは次の3つの原則を守らなくてはならないと「先生」は主張します。

◎ 叱ってはいけない
◎ ほめてはいけない
◎ 命令してはいけない

 そんな「先生」の主張に、「わたし」は驚き、戸惑います。「部下に命令もしなければ、叱らず、ほめずに課長の仕事が務まるものか。先生は哲学者であるから、理想論に走りすぎているのではないか」……。そんな2人の対話の行方は?

 前回に続き、「叱らない」「ほめない」という主張になかなか得心できない「わたし」が、先生に質問を重ねます。

※ 以下、太字が「わたし」からの問いかけ、細字が「先生」の返答です。

(構成/小野田鶴)

しかし先生、わたしには依然、「叱らない」「ほめない」という先生のご主張に、得心できるようで、もやっとするところがあります。

「もやっとする」のは、どのあたりでしょう。

なんといったらいいのか……。例えば、「叱る」というのは、どこからどこの範囲を指すのだろうといった疑問です。「叱る」ことの定義といいましょうか。

 わたし自身は、後輩などを「叱る」ということは、もともとあまりしていませんでしたし、管理職になった今も、部下を「叱りつける」場面はほとんどないと思います。

 もちろん心のなかで腹立たしいと思うことはあるのですよ。でも、今の若者はほめられて育ってきた人も多いようですから、頭ごなしに叱っても効果はないだろう。そんな合理的な判断から心掛けているのです。

 ただなんとなく……「押しつける」というのでしょうかね。自分の考えを、部下や後輩に押しつけているように感じる場面があるのですね。

 どんなときですか。

部下に対して「どうして、こんなこともわからないのだろう?」と思ってしまう瞬間というのがどうしてもあります。それが言葉や態度に出てしまうというのでしょうか。わたしとしては、「叱った」つもりはないけれど、相手にしてみたら「叱られた」ように感じられるかもしれない、と。

 そういうことは、往々にして起きます。

 

例えば、昨日もこんなことがありました。

岸見 一郎(きしみ・いちろう)
1956年、京都生まれ。哲学者。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋哲学史専攻)。著書に『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(古賀史健と共著、ダイヤモンド社)、『ほめるのをやめよう』(日経BP)、『幸福の哲学』『人生は苦である、でも死んではいけない』(講談社)、『今ここを生きる勇気』(NHK出版)、『不安の哲学』(祥伝社)、『怒る勇気』(河出書房新社)。訳書に、アルフレッド・アドラー『個人心理学講義』『人生の意味の心理学』(アルテ)、プラトン『ティマイオス/クリティアス』(白澤社)など多数。

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