ほめてしまうと「主体性が欠如した人」が育つ

しかし、「ほめてはいけない」という先生の主張は、「叱ってはいけない」という主張以上に、戸惑う人が多そうです。何しろ、わたしたちは「ほめて育てろ」といわれてきた世代ですし、職場の若い子は「僕はほめられると伸びるタイプなんです」なんて、冗談半分、本気半分でいってきたりします。「もっとほめてほめて」 と露骨にいわれることだってあるのですよ。わたしだって、頑張って成果を出して、上司にほめられたら、それはうれしいと思いますよ。それでも先生は、ほめるべきでないと主張される。

 ほめることの問題点は2つあります。

 1つには、ほめられるために頑張ろうとする人が出てくることです。上司からほめられた人たちは、無意識のうちに、上司からほめられることだけをするようになります。逆にいえば、ほめられないことは、何もしません。ほめてくれる人がいないかぎり、自分の判断で動くことがなくなると、子育ての場面でも、職場でも、困ったことになります。

「主体性の欠如」ということでしょうか。確かにほめられることが目的化すると、自分自身を成長させるためにアクションを起こすという意識は希薄になるかもしれませんね……。つまり「プロフェッショナルとして、より高いレベルの仕事をするために」という観点から行動しないようになる。それは問題です。

 それでも部下をほめていないと、「あの上司はわたしの仕事ぶりをちゃんと見てくれていない」「わたしは正当に評価されていない」といった突き上げを受けそうです。いや実際、そういう突き上げを受けるのは、よくあることなのですよ。それでも本当にいいのでしょうか?

次ページ 「ほめる」とは「上から目線」の行為である