人間は「怒鳴ったほうが得だ」と一瞬で判断する
最近はパワーハラスメントという言葉が一般的になって、以前ほど無邪気に叱る人は少なくなりました。それでも、今、あなたがおっしゃるように、叱ることが必要と考える人は多いと思います。
わたしは叱ることは必要でないと考えています。改善を求めなければならないことがあれば、言葉で伝えればいいのです。それも即効性を求めてはいけません。手間暇をかけていわないといけません。緊急を要することであったら止めないといけませんが、それですら言葉を使えばいいのであって、感情的になる必要はありません。
でも、人間ですから、ついかっとなってしまうこともありますよね。それもダメなのですか。先生のおっしゃることは頭ではわかりますが、いざ実践すると、自分の心にストレスがどんどん溜まっていく気がします。それも不健康で、不健全で、「幸せになるために働く」という先生の主張に反する気すらします。
あなたから以前、子どもさんのことでご相談を受けたとき、アルフレッド・アドラーの話をたくさんしましたね。フロイトとともに心理学を研究し、そして決別し、独自の「個人心理学」を構築した人物です。
はい、ギリシア哲学とともに、先生が長く専門に研究してきたのがアドラー心理学ですね。
アドラーは、「ついかっとなって」ということを認めません。「わたしは普段は温厚な人間で、決して我を忘れて感情的になるはずがない」といいたいのでしょうが、違うのです。
人間には自分の置かれている状況を瞬時に判断する力があります。例えば、喫茶店でウエイターに一張羅の上着にコーヒーをこぼされ、ついかっとして店中に響きわたる声で怒鳴ったとします。それは、一瞬にして「ここで感情的になったほうが自分にとって得だ、謝らせるために怒ったほうがいい」と判断して、怒りの感情を作り出したのです。
しかし、そのように怒りの感情を作り出して部下を叱りつけても、部下は反発するだけです。部下も自分のしていることの是非はわかっていますから、「そういういい方をしなくてもいいだろう」と思うでしょう。部下の行動を改善するはずが、 かえって部下と険悪な仲になり、部下は上司のいうことをますます聞かなくなってしまいます。
まあ、確かに「いわれなくてもわかっているよ!」というささくれだった気持ちは、わたし自身も若いころに覚えがあります。子どもにもよく「そんなのわかってるよっ!」と、怒られます。

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