パワハラの底にある劣等感とは?

 あなたのいう「虎の威を借る人」には、「自分は本来、劣っている」という自覚があります。つまり、「自分は本来、ほかの人が持つような力を持てないのだ」と、どこかで思っているのです。

 そこで何をするかというと、「補償」をします。自分が本来、劣っていることを補うために、上司に取り入ったり、部下を貶(おとし)めたりするというのは、よくあることです。

 これを、アドラーは「価値低減傾向」といっています。

 「価値低減」とは、「価値を低くする、価値を減じる」ということです。「自分の価値を高める」努力をしないで、「他者の価値を低める」ことで相対的に自分の価値を高めようとするのが「価値低減傾向」です。

なるほど、そう説明されるとすっきりします。

 この呼び方には、わたしは賛成できないのですが、アドラーは「第一の戦場」 「第二の戦場」といういい方をします。

 「第一の戦場」とは、仕事の場のことです。仕事の場を「戦場」と捉えることについていえば、わたしは反対です。ただ、とにかくアドラーはそう呼んでいます。

 仕事を戦場と捉えれば、その戦場で戦っていくことが、本来の仕事です。

 しかし、その戦場では自分は有能ではないとわかっている人が、例えば、部下との関係において、部下を「第二の戦場」に呼び出します。「主戦場」ではなく「支戦場」に部下を呼び出すといった、いい方もします。要するに「第二の戦場」、ないし「支戦場」において部下の価値を貶めることで、上司である自分の価値を高めようする。

パワハラには多く見られる構図です。

 「支戦場」ですから、本来の仕事とは関係ありません。本来の仕事と関係ない場所で、部下を罵倒したり、部下の価値を貶めたりして、相対的に自分の価値を高めようとする。そういう人たちには「劣等感」があるのだと、アドラーは考えます。そういう人たちは、偉そうな態度をとったり、自分は有能であると誇示したりするかもしれません。

 でも、本当に有能な人は、自分が優れていると誇示するようなことは絶対にしません。優秀な人は、ただ優秀であるだけです。それをわざわざ誇示する人というのは、劣等感があるとアドラーは考えるし、わたしもそう考えます。

 パワハラ上司に遭遇するのは災難ですが、そんなとき、こんなふうに思って付き合ったら、自分の受け止め方は随分、変わってくると思います。多少ひどいことをいわれても平静を保ちやすくなるでしょう。

ええ、実は、劣等感の裏返しなのだと考えれば、かわいらしい気もしてきます。しかし……。今のお話をうかがっていて、ふと疑問に思ったことがあります。

 なんでしょうか。

仕事の場である「主戦場」において「自分は有能でない」とわかっている人が、往々にして部下を「第ニの戦場」に呼び出す(イラスト:PIXTA)
仕事の場である「主戦場」において「自分は有能でない」とわかっている人が、往々にして部下を「第ニの戦場」に呼び出す(イラスト:PIXTA)

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