昇進して課長になったものの不安な「わたし」が、アドラー心理学を研究する哲学者の「先生」に、リーダーとしての悩みを打ち明け、戸惑いながらも、成長していく――。

 本連載では、ベストセラー『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)の著者である岸見一郎氏の新刊『叱らない、ほめない、命じない。―あたらしいリーダー論』から、エッセンスを紹介しています。

 昔の後輩の責任感に欠ける言動を思い出すと、今でもわだかまりを感じるという、わたし。「あの人はなぜ、大事な仕事から逃げ出してしまったのだろう?」と、先生に問いかける。

(前回『嫌われる勇気』著者、上司を悪者扱いする部下にどう接するか?

※ 以下、太字が「わたし」からの問いかけ、細字が「先生」の返答です。

(構成/小野田鶴)

先生、今日は昔の話をしたいのです。もう10年近く前の話になるのですが、わたしにとっては今も忘れられなくて、どうしたらよかったのかがいまだにわからないという出来事です。

 どんな出来事でしょう。

当時、わたしは経理の部署にいて、その日は後輩と一緒に給与計算をしていました。なかなか神経を使う、結構大変な業務です。その日の夕方、なんと停電がありました。勤務中に停電に遭うなんて、わたしの人生でそのときが最初で最後です。会社が入居していたビルで何かトラブルがあったらしいのですが、1、2時間で復旧しました。

 そこで、ふと隣を見ると、一緒に給与計算していた後輩がいないのです。どうしたのだろうと、あちこちに連絡してみたところ、彼女は停電の後、自宅に帰ってしまっていたのです。その日、終わらせるべき給与計算がまだ終わっていないのにもかかわらず、です。わたしはびっくりして、彼女と話していた電話口で「えっ! なんで帰っちゃったのっ!」と、大きな声を出してしまいました。非難する気持ちも少しにじんでいたと思います。

 結局、その日、彼女が会社に戻ってくることはなく、わたし一人で遅くまで残業して、給与計算をなんとか終わらせました。

 その間、頭のなかは謎でいっぱいでした。停電したからといって、どうして彼女は大事な仕事を会社に残して、自宅に帰ってしまったのだろう。どうして復旧した後も、会社に戻ってこようとしなかったのだろう。どうしたら与えられた仕事をきちんと終わらせようという責任感を、彼女に持たせられたのだろう。先輩として自分は、どう働きかけたらよかったのだろう……。これらの疑問に対する答えを、わたしは今も見つけられないままでいます。

 なかなか難しい問いですね。

岸見 一郎(きしみ・いちろう)
1956年、京都生まれ。哲学者。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋哲学史専攻)。著書に『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(古賀史健と共著、ダイヤモンド社)、『ほめるのをやめよう』(日経BP)、『幸福の哲学』『人生は苦である、でも死んではいけない』(講談社)、『今ここを生きる勇気』(NHK出版)、『不安の哲学』(祥伝社)、『怒る勇気』(河出書房新社)。訳書に、アルフレッド・アドラー『個人心理学講義』『人生の意味の心理学』(アルテ)、プラトン『ティマイオス/クリティアス』(白澤社)など多数。

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