エピクテトスかく語りき

吉川:私の例で言うと、コロナで良いことと悪いことがありました。もともとコロナ前までは、業務委託契約でケーブルテレビチャンネルの編成の仕事をしていました。執筆と全く関係ない仕事で、気分転換になるので気に入ってたんですが、コロナのあおりを食らって契約解除になってしまったんです。それで失職したことをツイッターでつぶやいたら、晶文社の編集者から「うちで働かないか」と連絡が来た。そんな経緯から四半世紀ぶりに正規雇用労働者となり、収入が増えたわけではないけれども、かつてないほどの生活の安定が得られてしまいました(笑)。

 6600万年前、巨大隕石(いんせき)の落下がもたらした「衝突の冬」によって恐竜は滅びてしまいましたが、温かい湧き水に依存して生きていたケイソウという藻類は生き延びました。もともと湧き水の出る季節しか現れないで、それ以外の季節には冬眠していましたから、それでたまたま衝突の冬を生き延びられたんです。私もそういう感じで理不尽な生存をしたのかもしれません。

荒木:ケイソウみたいに(笑)。

吉川:そうそう。人間万事塞翁が馬。古代の哲学者エピクテトス先生が言うように、できることとできないことをきちんとわきまえて、できないことについてはある程度諦めも肝心、でもできることはちゃんとやりましょうという、当たり前のことしか言えないなと思います。それが大事かなとも。

解釈の引き出しを持つ

吉川:荒木さんが先ほどおっしゃったように、一つの出来事に対して長期・中期・短期といった複数の時間軸を当てはめて考えることはとても重要だと思います。多かれ少なかれ我々はいつもそうして生きているとは思うんですけど、複数の時間軸を行き来しながら自分の中で失敗や成功という概念を柔軟に組み替えたり立て直したりしていくというのが大事ではないでしょうか。

荒木:本当にそうですね。コロナさえなければという思いは、言ってもしょうがないけれど当然ありますし、それによって人から「失敗した」と揶揄(やゆ)されることもある。そういうときに、解釈の仕方の引き出しをどれくらい持っているかということってすごく大事だと思います。引き出しに柔軟性がないと、やられてしまう人もいるんですよね。

 かつて、とある経営者が、「雨が降っても自分の責任」と語っていたんですよね。何をやっても自分の責任って、経営者のあるべき姿だと思いますし、やはり尊(とうと)いじゃないですか。でもね、その引き出ししかない人が、「コロナ禍も自分の責任」みたいな話をすると、マッチョなあなたはいいかもしれないけど、それを見ている社員たちはものすごく苦しくなる。だから、世の中は理不尽であるというチャンネルもちゃんと持っておくことが大切なのかなという気がしますね。

吉川:隕石が衝突するとかコロナが来るなんて誰も分からないですからね。解釈をし直したときに成功といえるような事業を組み立て直せばいいのでしょうね。

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