こぼれ落ちてしまうものを捉えたい

荒木:僕は吉川さんの『理不尽な進化』を読んで、当時主流の学説に対して異を唱えた生物学者のスティーブン・ジェイ・グールドにすごくシンパシーを感じたんです。

 グールドは、生物の歴史は「理不尽さ」、つまり、実際は偶発的な事件や事故をはじめとするさまざまな要因が関与してきたという立場をとっていますよね。そのグールドに反論したのが、かのリチャード・ドーキンス。この2人の論争は『理不尽な進化』の読みどころの一つですが、実績だけで判断すればグールドは敗北してしまう。

 ドーキンスの進化論はすごく有名ですし、僕も何冊か著作を読みましたがシンプルで分かりやすい。でもそこからこぼれ落ちてしまった何かって絶対にあるんですよね。その何かを表現したいというグールドのピュアな部分にとても共感しました。

吉川:そういうところがグールドの人気の秘密だと思います。いま、いみじくも「こぼれ落ちる」という言葉が出てきましたが、私はこぼれ落ちたものから先に見た方が、かえって早道になることも多いんじゃないかと思っています。

 こぼれ落ちていないもの、つまり我々が成功したと認識しているものっていうのにはどうしても生存バイアスがかかりがちで、うまく成功の理由を取り入れられない可能性があるんですよね。成功者のやることを全部学ばなきゃと思っていると、先ほどの1万人のジャンケントーナメントのように、毎朝トーストを食べることまで成功の理由と思ってしまいかねない。何が成功と関係していて、何がそうでないのかという区別がすごく難しい。

荒木:面白い。簡単に因果が逆転してしまうわけですね。

吉川:そして、もしも世の中の優秀な人たちがトーストに目をつけるようになれば、実際に成功する人もどんどん出てきて、トースト教みたいなものが生まれるかもしれません。ことほどさように成功から学ぶのは難しい。

 そう考えれば、今回の『世界「失敗」製品図鑑』や前著の『世界「倒産」図鑑』も、我々の思考からすると「こぼれ落ちるもの」ということになりますが、こちらの方が学ぶべき優先順位は高いんじゃないかと思えてきますね。

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