私たちは一部の成功者の話にばかり耳を傾けがちだ。しかしそこには落とし穴がある。「失敗や絶滅の事例を知ることで、生存バイアスに惑わされずに物事の見方を補正できる」と話すのは『理不尽な進化 増補新版──遺伝子と運のあいだ』の著者で文筆家の吉川浩満氏。『世界「失敗」製品図鑑』の著者である荒木博行氏と、失敗に学ぶ効用について語ってもらった。

生存バイアスに引っ張られないために

荒木博行(以下、荒木):これまで吉川浩満さんの著作や、吉川さんと文筆家の山本貴光さんとのYouTubeチャンネル「哲学の劇場」を興味深く拝見してきました。

 昨年、文庫化されて版を重ねている吉川さんの著作『理不尽な進化 増補新版──遺伝子と運のあいだ』をあらためて拝読しました。生物の歴史を「絶滅」という視点から捉えた点がユニークで、進化論にまつわるイメージの変遷や、進化論がいかに私たちの認識のありように影響を与えてきたかを解き明かす、知的興奮に満ちた本でした。

吉川浩満氏(以下、吉川):ありがとうございます。これから荒木さんの新著『世界「失敗」製品図鑑』についてお話ししていきたいのですが、はじめに、誰もが知るヒット製品ではなく、米アップルのニュートンや米グーグルのグーグルプラスといった「忘れ去られたもの」「消えていったもの」を取り上げ、論じている点で、『理不尽な進化』に近い問題意識を持つ本ではないかと感じました。

 やや不謹慎かもしれませんが、事業の失敗や絶滅のありようは実に多様で、それ単体で見ても興味をそそるものですよね。トルストイの小説『アンナ・カレーニナ』には、「幸せな家族はどれもみな同じように見えるが、不幸な家族にはそれぞれの不幸がある」という一節もあります。

<span class="fontBold">吉川浩満(よしかわ・ひろみつ)氏<br>文筆家、編集者(晶文社)</span><br> 1972年生まれ。慶応義塾大学総合政策学部卒業。国書刊行会、ヤフーなどを経て、現職。主な著書に『理不尽な進化 増補新版』(ちくま文庫)、『人間の解剖はサルの解剖のための鍵である』(河出書房新社)、『その悩み、エピクテトスなら、こう言うね。──古代ローマの大賢人の教え』(山本貴光氏との共著、筑摩書房)など。</a>
吉川浩満(よしかわ・ひろみつ)氏
文筆家、編集者(晶文社)

1972年生まれ。慶応義塾大学総合政策学部卒業。国書刊行会、ヤフーなどを経て、現職。主な著書に『理不尽な進化 増補新版』(ちくま文庫)、『人間の解剖はサルの解剖のための鍵である』(河出書房新社)、『その悩み、エピクテトスなら、こう言うね。──古代ローマの大賢人の教え』(山本貴光氏との共著、筑摩書房)など。

荒木:ありがとうございます。吉川さんが『理不尽な進化』でも書かれていますが、私たち人間は無意識のうちに特有の先入観「認知バイアス」を持っています。ビジネスの世界では、一部の成功者にのみ着目してしまう「生存バイアス」が強く働くことがあるんです。

 例えば、1万人が出場するジャンケントーナメントがあったとします。そのトーナメントで優勝した人に「日々どうやって生活してるんですか」「どういう態度でジャンケンに向かってるんですか」と質問するのはどこかおかしいですよね。なぜなら、ジャンケンは運の要素もすごく大きく、上記のような質問が有用だとは思えない。でも実際には、勝った者が正義であり、勝った者の言葉が力を持ってしまう状況はたびたびあります。

(吉川浩満著『理不尽な進化 増補新版──遺伝子と運のあいだ』。単行本が朝日出版社より2014年に刊行され、2021年に文庫化。順調に版を重ね、現在5刷。ちくま文庫)
(吉川浩満著『理不尽な進化 増補新版──遺伝子と運のあいだ』。単行本が朝日出版社より2014年に刊行され、2021年に文庫化。順調に版を重ね、現在5刷。ちくま文庫)

吉川:1万人のジャンケントーナメントで優勝した人は確かにすごい。ただ、ジャンケンがどういうゲームなのかを考えないと、そのケースでは最終的に『朝ごはんを欠かさず食べればジャンケンに勝てる!』みたいな本ができてしまいますよね(笑)。

荒木:その通りだと思います。この結果のみに着目するやり方は「もともと正解があってその正解を選択し続けたのだから、この先も必ず正解がある」という思考につながります。もちろん、常に正誤を判別したり、そのために学んだりといった姿勢は大切ですが、ともすると過度な自己責任論に発展しかねない。自分は他者や外部の動きによってたまたま生かされているという認識や、時には運に身を委ねるという決断もビジネスパーソンに必要なエッセンスだという気がするんです。

吉川:ただ、『世界「失敗」製品図鑑』で叙述(じょじゅつ)されている通り、ビジネスで失敗するときにはユーザー側の視点が欠けていたり、市場や競合他社の動きを見誤ったりといった、やはり運以外の理由もあるわけですよね。つまり、ビジネスの世界は「能力」と「運」の中間にある。そこがすごく難しい気がします。いずれにしろ、失敗や絶滅の事例を知ることで、生存バイアスに惑わされずに物事の見方を補正できるというのはあると思います。

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