金属加工用工具メーカー、エーワン精密は利益率が高い会社として知られる。相談役で80代の梅原勝彦氏は、松下幸之助氏の著書や中国の古典を通じて、社員との関係や経営者としての在り方を考えてきた。

 エーワン精密は売上高が約18億円(2022年6月期)で、社員が約110人いる。何社もの町工場で働いてきた梅原氏が1970年に独立し、立ち上げた。収益性の高いものづくり企業の代表格で、同期の売上高経常利益率は23%を超える。東証スタンダード市場に上場しており、2020年には創業50周年となった。

エーワン精密の創業者、梅原勝彦相談役(自宅書斎で。写真=栗原克己、以下も)
エーワン精密の創業者、梅原勝彦相談役(自宅書斎で。写真=栗原克己、以下も)

 梅原氏は1939年に東京で生まれた。父は「ろくろ屋」。ろくろを回して金属を加工する金属ひき物業の町工場を営んでいた。戦前は軍関係の仕事をしていて、事業は好調だった。工場兼自宅があったのは、今の港区白金周辺で、近くには立派なお屋敷が並んでいた。梅原氏の家にも「お手伝いさん」が2人いるなど、裕福な環境で生まれ、「お坊ちゃん」として育てられた。戦災を免れたため戦後も父の工場は好調だった。しかし、梅原氏が小学生のとき、父のばくちの借金が積み重なった。自宅や工場を失い、生活は一変。ファミリーは一時ばらばらになった。梅原氏は小学校を6回も転校するなど、激動の子ども時代を過ごした。

 小学校を卒業すると、梅原氏は父の知り合いが経営していた川崎市の町工場で職人の見習として働き始めた。戦後間もない時期とはいえ、義務教育である中学に通わないのは、クラスで梅原氏だけだった。それだけに学びたい気持ちは強く、働きながら通える夜間中学を知ったときには「人生で一番うれしかった」と振り返る。夜間中学を卒業すると、定時制高校に進学。しかし「将来経営者になる」と決めた梅原氏は、「もっと早く実践的な知識を身につけたい」と思い中退。簿記学校に通った。現場で働きながら技術を磨き、やがて独立。企業規模を拡大し、一代で上場企業をつくった。

 「学校をほとんど出ていない」という叩き上げの経営者の梅原氏にとって、心の支えになったのが経営についてのさまざまな分野の本だった。「何かを知るには本を読むしかなかった、というのが正直なところだ」と静かに話す。

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